ビーチバレーボールで今注目は

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ビーチバレーボールで今注目は

2015.02.02 更新

本学バレーボール部OG内田暁子さん

本学バレーボール部OGの内田暁子(現姓長谷川)さんが今、ビーチバレーボールで注目されています。内田さんは文京女子学院大高校から本学(経営学部)へ入学、173センチながらウイングスパイカーとして脚光を浴び、2006年には学生大会5冠(春・秋季リーグ戦、東日本インカレ、全日本インカレ、東西選抜)に貢献しました。20008年卒業、NECレッドロケッツに入りしてVプレミアリーグで活躍し、2013年5月にはプロ・ビーチバレーボーラーの長谷川徳海選手(フリー)と結婚。翌14年6月、NECを退部して、その11月にビーチに転向。日本バレーボール協会ビーチバレーボール事業本部の強化指定候補として夫婦で2016年リオデジャネイロ五輪を目指しています。

 
ビーチバレースタイルの内田さん(上)

NEC時代の内田さん(下)

中野照子さん

本学とビーチバレー「先駆者」は中野照子さん

 
本学とビーチバレーボールの繋がりは15年前に遡ります。エーススパイカーの中野照子さん(文学部日本文学科、八王子実践高出)は1985年ユニバーシアード神戸大会で日本を優勝に導くなど注目を集めていました。1988年卒業後、創部3年目の小田急電鉄グループバレーボール部に入部します。当時、沿線に鵠沼海岸をもつ小田急は、1987年第1回ビーチバレージャパンに協賛するなどビーチバレーボールへ高い関心を寄せていました。1972年バルセロナ五輪で公開競技、1996年アトランタ五輪で正式種目に採用されたのを機に日本バレーボール協会も強化に乗り出します。中野さんは1991年にビーチへ転向、日立から小田急へ移籍した藤田幸子選手、高橋有紀子選手もビーチバレーボール初のオリンピックを目指しました。アトランタでは高橋・藤田組が5位、中野さんは石坂有紀子選手と組んで9位でした。そもそも本学バレーボール部からのオリンピック選手は後にも先にも中野さん一人、もちろん室内6人制バレーボールでは未だにいません。

OB青木晋平君は第1回ワールドカップ杯代表

 
中野さんから遅れること12年、OBからもビーチバレーボーラ―が誕生します。青木晋平君(経済学部、県立秦野南が丘高=現秦野総合高校出)は2003年卒業とほぼ同時にビーチを始めました。スポンサーが付いたり付かなかったり、プロと名ばかりの厳しい競技生活。そんな中、2012年ロンドン五輪代表決定戦では日高裕次郎選手(日体大OB)と組んで、朝日健太郎・白鳥勝治組と対戦、惜しくも代表にはなれませんでした。が、翌13年5月末、ブラジルで開催された第1回ワールドカップに日本代表として小川将司選手(元つくばユニテッド)とのペアで出場したのを最後に現役引退。後進の指導などに当っていたところ、2015年1月、日本協会ビーチバレーボール事業本部強化委員に選出され、日本代表男子チームのコーチに就任、現在に至っています。

 

ビーチのレジャーが世界規模の競技に

 
ビーチバレーボールは、浜辺にネット張ったコートで2人一組のチームで対戦する、米国西海岸発祥のビーチスポーツです。発祥は1920年代、カリフォルニア州サンタモニカのビーチレジャーとして始まったと言われています。その米国で1880年代に競技団体として整備され、1983年にプロ選手らが自ら運営するプロフェッショナル・バレーボール協会(AVP)が発足しました。ブラジルでも早くからインドアの選手が砂浜で楽しんでおり、日本でも鵠沼海岸などでバレーボールをパスして遊んだと言われております。

世界各国、海岸のある国でビーチバレーは、さまざまな形で楽しまれていたに違いありませんが、国際バレーボール連盟(FIVB)公認の世界規模の大会が初めて開催されたのは1987年2月、ブラジル・リデジャネイロのイパネマ海岸でした。日本からは又木誠八郎団長率いる立川一郎(NEC)・松本聡(法政大)組が参加、筆者(当時スポーツ紙記者)も取材で同行しました。砂浜の上に特設のスタンドはコートをぐるりと囲み、カラフルな水着姿の観衆、約6000人でぎっしり。容赦なく注ぐ灼熱の太陽、ゲームとゲームの間にスタンドへ向けて放たれる放水は一服の涼でもありました。当時はまだサイドアウト制、1セット15点。熱砂の上で2時間を超えるゲームは珍しくありませんでした。試合途中、足にケイレンを起こして倒れたり、ドラム缶にためられた水をかぶって活力を取り戻すシーンを目の当たりにしたものです。見るものすべて感動した、これが第1回の世界選手権で、この興奮が、その年の8月の第1回ビーチバレージャパンへと繋がっているのです。更にFIVBは1990年から世界各国を転戦する国際サーキットを展開、1997年には1987年大会を発展させた形で第1回世界選手権をロサンゼルスで開き、これは2年ごとで2015年はオランダのハーグで男女とも開催されます。

時にビーチバレーボールはそのエンターテイメント性から、特に日本ではインドアの6人制(中でも6人制プレーヤーから)と一線を劃す風潮が未だにあります。が、競技としての面白さもさることながら、開放感に色彩と音が加わり、その宣伝媒体としての効果は室内6人制を凌駕しています。あれは1989年の夏だったと記憶しています。バルト海に面したイタリアのビーチリゾート都市アンコーナを見下ろす丘陵地のイエージというワインの産地で開かれたビーチバレーボール大会は忘れられません。日本からは筆者(奥本)が三橋栄三郎選手と岩島章博選手(ともに富士フイルム)を引き連れて参戦。小さな古城の広場、照明に浮かび上がった砂のコート、満員のスタンドは幻想的でした。時に音楽が流れ、浮かび上がる4人のプレーヤーは、それこそ古代ローマの戦士にも見えました。ちなみに当時は、どの大会へ出場しても優勝とは全く縁のない日本勢、1勝することさえ夢のような実力でした。

<競技概要>1チーム2名の選手で対戦、フリーポジション。かつては6人制同様サイドアウト制でしたが、現在はライリーポイント制、1セットごとに2点リードして21点先取(3セット目は15点先取)する3セットマッチで2セット先取したチームが勝者。第1、2セットは7の倍数ごとに、第3セットは5の倍数ごとにコートチェンジします。タイムアウトは各セット1回30秒間取れます。

コートの広さは16メートル×8メートルで室内より縦横1?小さい。ネットの高さは男子が2メートル43、女子が2メートル24。ボールの大きさは室内と同じですが、色の配色は黄色、青、ピンク、オレンジ等鮮やかなものを使用し、内気圧は6人制のボールより30%ほど低い0.30〜0.325kgと低い、スピードが付きにくくしています。

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