生瀬監督就任50周年感謝の集い

  • 青山学院大学体育会バレーボール部OB・OG緑楯会青山学院大学体育会バレーボール部OB・OG緑楯会
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生瀬監督就任50周年感謝の集い

2017.02.18 更新

OG・現役110名が「なませさん、ありがとう」

 青山学院大学女子バレーボール部「生瀬監督就任50周年感謝の集い」(青山学院大学バレーボール部緑楯会女子部主催)が2017年2月18日午後1時から青学会館IVYホールで開かれ、北は仙台、南は佐賀からのOG、現役部員合わせて約110名が出席して、生瀬良造監督(1965年卒)の50年を思い思いに懐かしく語り合いました。

生瀬監督夫妻を真ん中に参加者全員で記念写真

 
TBSテレビなどで活躍の奥平康彦アナ(1995年経営学部卒)の司会で開会。実行委員長の加藤真美さん(1982年卒)から主催者を代表して、総勢230名のOGのうち出席者を含め半数を超える人たちがこの集まりに何らかの形で協力していただいたことにお礼を述べ、所用で欠席した雛田総子OG会長(1964年卒)からの謝辞を伝えました。

来賓は平澤典男部長先生、高窪貞人元部長先生、それに筆者(奥本浩平=1964年卒)の男性3名だけ。部長8年目の平澤先生は、生瀬監督の指導力の一つに、“目は口ほどにものをいう”のことわざを引き合いに「目力によるコミュニケーション」をあげます。さらに、気遣い。4年生を送る会で、卒業生一人一人に直筆の色紙を贈るなど選手への愛情あふれる振る舞いを目の当たりにしてきて、「まさに“女子バレーボール学部”、学校に貢献している」と評しました。この日は半世紀の間に、この学部から巣立った学生が今、恩返しの思いをもって集まったのです。

OB・OG会の前会長でもある奥本は、「ありがとう」の気持ちをOB・OG会緑楯会の一人として伝え、バレーボールを愛する仲間として50年の監督歴に敬意を表しました。

5冠達成の記念額を囲む当時のメンバー

 
齢80を遥か過ぎて、網膜剥離と緑内障を患い、大好きなたばこをやめたという高窪先生。

さすがにこの日は夫人のエスコートを得て、「人間、生きていれば何が起こるかわからない」これまでの50年の労をねぎらいながら、これからを大事に生きるよう諭しました。思えば先生は本学在籍時、生瀬監督を支えた一人で、女子部の今日を築いた恩人でもあります。

乾杯の音頭は玉井裕子さん(1959年卒)。短大内の部活としてプレーした”屈辱の時代“を顧みながら、「大学バレーボール界に青学あり」までに育ててくれた生瀬監督を称え、声高らかに唱和しました。

天ぷら、すし、うどん、サラダ、スパゲティーなどなど、ビールにワイン。会場内ではにぎやかに同期会花盛り。ステージには2006年、5冠(春季、秋季リーグ戦、東日本インカレ、全日本インカレ、東西選抜優勝大会)を記念した額が置かれていました。学内にあったのを見つけたそうで、グリーンのユニホームを真ん中に、プレートには5冠のタイトル名、当時のメンバーが刻まれています。当時の選手たちは、栄光を思い出しながら記念写真を撮っていました。

OGたちからのお祝い・お礼のメッセージは生瀬監督の人と成りを浮かび上がらせます。「怒られたことは一度もなかった。楽しい4年間だった」感謝を込めて酒井和子さん(1971年卒)は学生時代を思い浮かべるように話しました。当時の女子バレーボールと言えば、スパルタ全盛。言葉もそうですが、暴力もまかり通っていたのです。それなのに、青学は・・・。

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