「野老山先輩の宝物」

■1冊のファイルに詰まった学生時代


※野老山先輩が大切に保管されていたバレーボール部の数々の貴重な資料

野老山幹雄さん(S30年度卒)は躊躇しながら言いました。「これだよ」と1冊のファイルを差し出しました。
平成23年度総会(2012年6月3日)後の懇親会のテーブル、そこには茶褐色に変色した“お宝情報”がぎっしり詰め込んでありました。手書きのタイトルは「リーグ戦」、挟み込まれた茶褐色の紙には野老山先輩のバレーボールに打ち込んだ青春が刻まれていました。
真っ先に出て来るのは野老山さんの入学年、昭和26年(1951)春の関東大学バレーボール・リーグ戦2部のプログラム(タテ18、ヨコ11にプリントされたデータが1枚綴りで裏表3コマ)。

●関東大学バレーボールリーグ戦 昭和26(1951)年度春季のリーフレット

タイトルは
―昭和26年度春季― 關東大學バレーボールリーグ戰
日時 自5月5日(土)至6月3日(日)
毎週土曜午後1時・日曜午前10時試合開始
但し(雨天の場合は土・日共午後1時開始)
會場 浜松町コート(雨天都立西高国電西荻窪下車)
とある。
参加チームは一橋大、東京工業大、東京大、中央大、青山学院大、法政大の6校(1部校は早稲田大、慶応大、明治大、立教大、日本大、東京教育大=現筑波大=)。
青山學院大學のメンバー表では
部長 古坂臨成(城のミスプリ)、監督 吉田外治、主将 南川義宜、主務 小沢一智

(番號)氏名(位置)學年/出身校
(24)野老山幹雄(中)商學1/戸山高

▽登録選手
①南川義宣(中)商学3/神戸高、②高橋昇(前)英文4/八戸中、③福原朝茂(中)商学4/青学専1、藤田士朗(中)商学4/青学専、⑤酒井正一(後)商学4/北見中、⑥園田潤(中)英文3/中川中、⑦水野惇雄(中)商学3/千歳中、⑧二郷正成(前)商学3/江戸川高、⑨高野弘一(前)商学3/青学中、⑩鈴木秀明(後)商学3/磐城中、⑪小川富夫(中)藤沢中、⑫畠中敬(前)商学3/高輪高、⑬小沢一智(中)商学3/都十中、⑭淀川四男也(前)英文2/水戸高、⑮秋山貞雄(前)商学2/都留高、⑯阿佐勇(後)商学2/青学高、⑰上東野武夫(中)商学2/千葉高、⑱加藤道夫(後)商学2/青学高、⑲菊地武昭(後)商学2/青学高、⑳海波巌(後)商学2/青学高、(21)徳江三之助(中)商学1/青学高、(22)萩原亮(中)商学1/芝高、(23)青石敏男(前)商学1/九段高、(24)野老山幹雄(中)商学1/戸山高、(25)江部瑞夫(中)商学1/日本橋高、(26)猪越誠司(後)英文1/武蔵丘高、(27)大沼尚朗(後)英文1/港北高
以上27名、23番目の青石さんは横棒で消してありました。

■戸山高ではインターハイ準優勝
野老山さんは戸山高校からバレーボールをはじめ3年生の時、高校選手権(インターハイ)で準優勝という実績を引っ提げて本学へ入学。
当時は9人制、ポジションはネットに近い順から前衛3、中衛3、後衛3と1チーム9人でプレー。それぞれ左(レフト)、中(センター)、右(ライト)と位置し、主に前衛中が今で言うセッター、中衛中と後衛3人は守備専門。野老山さんは中でも右、とまりライトスパイカーでした。
大変興味深いのは、表紙の右下の「会員券 20.00 会期中一回限通用」。20.00は恐らく20円、昼食用のクーポン券でしょうか。更に注目したのは現役の前に先輩戰(OB戦)が行われていたことです。このプログラムでも5月6、13、20、27、6月3日の5日間、雨天中止で実施される予定になっています。浜松町コートは現在の旧芝恩賜公園内(JR浜松町駅下車1分)。

■東北学院定期戦と英字新聞TROJYAN
これも珍しい。野老山さん、2年生時の即席の一つです。
東北学院大学との定期戦について「復活第3回 東北學院大學−青山學院大學 總合定期戰」(昭和27年=1952=9月11日~15日)の総合プログラム(タテ18、ヨコ13、12頁の小冊子)。

主催 青山学院大学学友会 後援 スポーツ・ニッポンとあります。
スポーツ紙がバックアップしていたとは。
青学バレーボール部のメンバー表は監督 福原朝茂、部長 阿久津馨、主将 加藤道夫、マネジャー 杉浦茂。
チームの布陣は前衛=秋山貞雄、淀川四男也、加藤道夫、中衛=竹内溥、徳江三之助、野老山幹雄(商2)、後衛=高橋清、安佐勇、海波巌(いずれも左、中、右)、とあります。

実施10競技と開催場所は、野球(上井草球場)、陸上競技(神宮競技場)、ラグビー(明大グラウンド)、硬式庭球(浜田山コート)、籠球(バスケットボール、国民体育館)、バレーボール(青山学院コート)、サッカー(神宮競技場)、卓球(青山学院体育館)、水泳(青山学院プール)、柔道(国学院大道場)。

ファイルの最後に挟み込まれた、本学の月刊英字新聞「AOYAMA Trojan」(昭和59年廃刊、青山学院大学英字新聞として受け継がれている)は定期戦の模様を伝えています。

●「Aoyama Trojan」 昭和27(1952)年発行

・該当記事

見出しは「第3回東北−青山定期戦、青山勝利」記事は富川三郎と言う学生が取材して執筆、バレーボールのゲーム写真が名刺大で掲載。
それによりますと、9月11日、東北学院大120選手は仙台から上京、PS講堂で盛大に開会式が開かれた。
ミッション系の大学同士では最大の定期戦は12日から4日間行われ、青山学院が野球、バレーボール、水泳、テニス、バスケットボール、ラグビー、陸上競技で勝利したが、卓球、柔道、サッカーは負けた。
中でもバレーボールは力が伯仲、5セットまでもつれて、学生たちを沸かせた、とありました。
更に記事は、ラグビー、サッカー、陸上競技では20年以上も前から交流しており、彼らは今年の定期戦を第3回とは呼ばないのだ。
昭和15年(1940)、第2次世界大戦が勃発し、定期戦を始めスポーツ活動も中止となった。
戦後、(学校制度改革に伴い新制大学となった本学と東北学院は)昭和25年(1950)、交流を再開するにあたって、すべての競技を組み入れることになった、と書いています(要旨)。プログラムに敢えて「復活」としたのは、訳があったようですが、平成24年(2012)の定期戦は第63回、昭和50年の開催を第1回と数えています。
遅れること4年、昭和54年(1979)に女子バレーボールも定期戦を始めました。この他、男子は学習院、明治学院と3学定期戦を行っていましたが、自然消滅しています。

■激戦2部、大きくなったプログラム

リーグ戦のプログラムがB5版の大きさになります。
野老山さん3年生時、会場は田園コロシアム(現在はマンション「ドレッセ田園調布プレゼンス」)へと変わります。
昭和28年(1953)春は東京工業大(降格)、法政大(1部昇格)に代わって日本体育大、東京教育大が、秋は日体大(降格)に代わって東京学芸大がそれぞれ参戦しています。

▽本学の昭和28年春季リーグ登録メンバー
監督・吉田外治、①阿佐勇(後)経4/青学高、②淀川四男也(前)文4/水戸高、③秋山貞雄(前)経4/都留高、④海波巌(後)経4/青学高、⑤加藤道夫(後)経4/青学高、⑥菊地武昭(前)経4/青学高、⑦阿久津馨(中)経4/宇都宮中、⑧杉浦茂(後)経4/青山中、⑨水野哲雄(後)経4/逗子開成高、⑩野老山幹雄(中)経3/戸山高、⑪徳江三之助(中)経3/青学高、⑫竹内溥(中)経2/青学高、⑬高橋清(後)経2/川越高、⑭菅原勉(後)経2/青学高、⑮山下孝治(前)経1/湘南高、⑯最首正夫(前)経1/湘南高、⑰早川恒夫(前)経1/甲府一高、⑱宇山昭八郎(前)経1/瀬戸田高、⑲青木勇(後)文1/慈恵高、⑳山寺信光(中)経1/岡谷南高、(21)菊地彰(後)文1/明大中野高、(22)久慈勇(後)経1/八戸高、(23)久保島康之(後)文1/浜松北高、(24)中澤和夫(前)経1/韮崎高、(25)北野一郎(前)経1/藤岡高、(26)岡武孝己(後)経1/瀧川高

▽本学の昭和28年秋季リーグ登録メンバー
(23)久保島康之さんに代わって斎藤亮二(中)経1大泉高が入っている以外は同じ。学部と学年の項で春は経(済)だけでしたが、秋では経と商(学)に分けています。

■野老山さんキャプテンに就任
4年生時、野老山さんは主将を務めます。
昭和29年(1954)秋には会場は東京教育大学幡ヶ谷コートに。一橋大、学芸大(ともに降格)に代わって日体大が返り咲き、東京経済大が初顔で入ってきます。

▽本学の昭和29年秋季リーグ登録メンバー
監督 秋山貞雄、①野老山幹雄(前)経4/戸山高、②徳江三之助(中)商4/青学高、③竹内溥(中)商3/青学高、④菅原勉(後)商3/青学高、⑤高橋清(後)経3/川越高、⑥山下孝治(前)商2/湘南高、⑦早川恒夫(前)経2/甲府一高、⑧宇山昭八郎(前)商2/瀬戸田高、⑨最首正夫(中)商2/湘南高、⑩山寺信光(中)経2/岡谷南高、⑪久慈勇(後)商2/八戸高、⑫斎藤亮二(後)経2/大泉高、⑬青木勇(後)文2/慈恵高、⑭岡武孝己(後)経2/立川高、⑮上野厚(後)経2/三井毛高=ミスプリか=、⑯菊地彰(後)文2/明大中野高、⑰中澤和夫(前)商2/韮崎高、⑱堀美喜雄(前)文1/向陽高、⑲遠田敦(前)商1/成城学園高、⑳高野譲二(後)文1/川越高、(21)三富、(22)森敏男(後)経1/新宿高、(23)保坂一衛(前)文1/甲府一高、(24)高野経1/青山高
※プログラムの不備が目立ちます。森敏男さんまで2年生のはずですし、データの欠落もあります。
この4年間を振り返ると、2部参加校が目まぐるしく入れ替わる中で、2部に残り続けたことは大健闘と言えます。

<野老山さんが本学に入学した昭和26年(1951)とは>
1月3日、第1回NHK紅白歌合戦。4月19日、ボストンマラソンで田中茂樹さん(19)が日本人初V。9月4日、サンフランシスコ平和条約締結。物価を見ると封書10円、はがき5円、国鉄最低料金10円、新聞の月極め100円、森永ミルクキャラメル20円など。

■第1回インカレで本学女子4強
●東京大学女子バレーボールリーグ戦 昭和28(1953)年度春季 リーフレット
・表回り

・中面

野老山さんのお宝の中に女子リーグのプログラム(B5版)もありました。
タイトルは
昭和28年度春季
東京・大學女子
バレーボールリーグ戦
日 時 自6月20日(土)至6月28日(日)
試合開始 土曜日1時 日曜日10時
会 場 田園コロシアム
お茶の水女子大・東京学芸大(但し雨天)
とある。

1、2部同時掲載で
1部=共立女子大、日本女子体育短期大、お茶の水大、青山学院大、日本女子大、昭和女子大、東京学芸大
2部=東京女子体育短期大、早稲田大、横浜国立大、日本体育大、女子美術大、教育大

▽本学の昭和28年春季リーグメンバー
部長・古坂枝、主将・船津玲子、マネジャー・山本明子、①館谷光代(前)3/松戸高、②川添成子(前)2/青学高、③渡邊洋子(前)2/三田高、④菅久美子(前)2/立教女学院、⑤岡本カヨ(前)2/白鴎高、⑥平田明子(後)2/城北高、⑦平田明子(後)2/青学高、⑧山本明子(中)2/山本高、⑨船津玲子(後)2/忍岡高、⑩西田道子(後)2/浦和高、⑪高宮叶子(中)2/楯岡高、⑫池田豊子(前)2/鷺宮高、⑬山川京子(後)2/櫻蔭高、⑭加藤ヤス子(中)1/忍岡高、⑮清水美代子(前)1/八幡浜高

関東の女子でいち早く創部したのは竹早高女、お茶の水女子大、日本体操学校(日体大の前身)などで、本学女子は昭和25年(1950)です。
リーグ戦は昭和23年(1945)から高専が始めていましたが、学校制度改革に伴う新制大学の発足により、昭和25年(1950)新しく関東の女子大学リーグ戦がスタートしました。当時はまだ女子の進学率は低く、バレーボール部を持つ大学の多くはありませんでした。
第1回の参加校はお茶の水大、日本女子体育短期大、東京女子大、学習院大、青山学院大、共立薬科大、共立女子大の7校。
昭和28年(1953)から参加校も増え2部制となっていますが、お茶の水大、日本女子大、昭和女子大など古くからの女子大勢が強く、現在の女子の勢力図から見ると隔世の感があります。
女子のインカレは昭和29年(1954)に京都で46校が参加して開催され、日本体育大が優勝。青山学院大は準決勝でその日体大に2-0(21-10、21-10)で敗れています。

<ここでいう高専とは>
旧制専門学校のことで、第二次世界大戦までの日本における専門学校令に基づいて専門教育を行っていた高等教育機関。現在の専門学校とは系統をまったく別にする。旧制はむしろ現在の大学に近いもので多くは現在の大学の前身である。

■部報創刊、興味深い諸先輩の回顧
部報の創刊号(昭和26年9月刊)はお宝中のお宝です。その中に福原朝茂さんの「バレー部『回顧』」と言う一文を紹介します。

「(前略)私が入部したのはその翌年(昭和23年)で秋のリーグが始まる頃であった。当時は関東高専リーグの2部に加盟していたが、田尾主将の下に全員奮闘し、4勝1敗の好成績で2位となり、1位の明学と共に1部に昇格された。然し翌年、創設者にしてチームの大黒柱であった田尾先輩を始め、加藤(哲)小長井、原田の諸先輩を送り悪戦苦闘したが、吉田主将の超人的な活躍によりかろうじて一部に踏みとどまった。
続く24年度に主将になった小生の時、従来の高専リーグ廃止され、吾校は関東大学の第2部に加盟したのである。吉田先輩の卒業により攻撃皆無の状態に陥り、到底部の維持は不可能であると思った矢先、幸運の女神は救いの手を下した。即ちこの年に高橋、南川、松岡の諸君の入学をみ、新しくチームらしきものを編成したのである。(後略)」

このほかインタビュー、座談会、女子リーグ戦を振り返るなど盛りだくさんです。
B5版全22頁、すべて手書き、ガリ版刷りの冊子ですが、最初のOB・OG名簿でもあります。

▽OB名簿
昭和23年卒 田尾昭次、加藤哲也、舘正義、原田純、小長井宰、安食重義昭和24年卒 吉田外治、加藤精三、藤田士朗、長谷川勇 昭和25年卒 宇田川習二、村田和、奥野修二、嘉戸健治、鈴木直昭、福原朝茂

▽OG名簿
昭和25年卒 柴田雅子、酒井久栄、板倉瑛子、佐藤綾子、佐藤道子、綱徳子、大溝愛子、渥美恵美子

緑楯会会報は平成7年度(第1号)が1996年2月に発行されています。B5版、19頁、ワープロ入力と手書きミックス。
これは徳江三之助さん(S30年卒)から引き渡されたものです。
当時の会長、秋山貞雄さん(S29年卒)のあいさつ文を紹介します。
「(前略)この度、田尾先輩の発意により会および現役の動向をお知らせする会報が初めてはっこうされました。当会報に引き続き会員名簿の更新が5年ぶりに行われますが、春頃に名簿をお届けできると伺っております。これらの作業を大先輩の田尾昭次氏に全ておまかせいたし、住所不詳者の探しだしから編集・発行などご尽力下さり御礼の申し上げようもありません。また杉浦茂前会長にもお手伝いいただきありがとうございました。(後略)」

(昭和30年7月には青山学院大学バレーボール部部員名簿が発行されOB、OG、現役男女部員を網羅。その後,緑楯会名簿としては1996年6月に発行されています)


最初の6人制インカレ開会式、決勝トーナメント表も掲載(神戸・王子公園コートで)


昭和35年度インカレに出場した本学チーム


相手の攻撃をブロックする本学チーム(S35年度インカレ=9人制=から)

■関東高専と関東大学、二つのリーグ
◇大学の歴史を見てみましょう
昭和2年(1927)、東京帝大(現東大)と京都帝大(元京都大)にバレーボール部が出来たのが大学バレーボールの始まりと言われます。
その後、関東では浦和高校(現埼玉大)、明治学院、日本体操(現日体大)がチームづくり取りかかり、昭和5年(1930)に慶応大、翌年には早稲田大が、更に日本大、明治大と相次いで部を立ち上げます。
昭和7年(1932)に関東学生排球連盟が設立され、6月5日、芝恩賜公園コート(浜松町)でリーグ戦が始まります。参加校は東京帝大、慶応大、早稲田大、浦和高、横浜工高(現横浜国立大)、日本大の6校。
最初の栄冠は全勝の東京帝大に輝いています。
同年秋には日本体操、明治大、明治学院が加盟し、春最下位の日本大と2部を結成しています。
翌8年(1933)には東京文理大(後の東京教育大、現筑波大)が加わり、1,2部各5校の構成となりました。
因みにこの頃の加盟料は20円、参加料は15円。

1、2部入れ替え制度に端を発した浦和高の棄権問題から高専分離が持ち上がり、昭和11年(1936)、関東大学排球連盟として新たにスタートします。
早大全盛、14連覇の記録が残っていますが、昭和17年(1942)秋のリーグを最後に昭和18年から昭和20年まで(太平洋戦争のための)学徒出動命令、戦時学徒体育訓練実施要項により球技等が全面中止となり、バレーボールのリーグ戦も中断されました。
昭和20年8月、終戦。
リーグ戦は昭和21年の春から再開され、東京帝大、早稲田大、慶応大、明治大、東京文理大、立教大、日本大の7校で行われ、東京帝大が復活リーグの覇者となりました。
秋には東京産業大(現一橋大)、東京工大、中央大、法政大が加わって2部制も復活します。
本学男子の創部は昭和21年(1946)秋、翌年の春から関東高専リーグに仲間入りし、2部からスタートしました。

全日本大学バレーボール選手権大会(通称インカレ)は戦後3年目の昭和23年(1948年)7月24日、16校が参加して田園コロシアムで開かれ、早稲田大が優勝しています。このインカレがきっかけとなって、各ブロックに大学連盟が結成され、昭和25年の全日本大学バレーボール連盟の設立へとつながっていきました。


必死にレシーブする本学チーム(最初の6人制インカレから)


試合開始前、コートエンドに整列する本学チーム(最初の6人制インカレから)

■学連の英断が五輪金メダルを呼ぶ
9人制から6人制へ。
バレーボールは1924年(大正14)オリンピック・パリ大会でアメリカのスポーツとして初めて世界へ紹介されていますが、昭和39年(1964)オリンピック東京大会で正式競技に採用され、世界的なスポーツへと発展して行くのです。
6人制は昭和28年(1953)、早稲田大学バレーボール部がアメリカ遠征して持ち帰りました。関東大学連盟では昭和33年(1958)秋季リーグから1部で9人制と6人制を同時開催、6人制リーグには明治、日体、日本、中央、法政、立教、早稲田、東京教育の8大学が参加しました。同34年、慶応が加わって9校となり、35年には東大、順天堂大、学習院大が手を挙げて2部制になりました。

この年、秋まで“9・6同時開催”、36年春は9人制だけで秋から6人制に全面切り替えとなりました。
これにはターニングポイントがありました。オリンピック東京大会まであと4年の昭和35年(1960)、バレーボール(6人制)が東京大会の正式競技に採用されたことです。いち早く応えたのが関東大学連盟。
昭和36年(1961)7月、全日本大学連盟は「昭和37年度全日本大学選手権大会より6人制を採用する」と発表しました。6人制の最初のインカレは神戸・王子公園コートで60校が参加して行われ、関大が法大を3−1で下し、優勝しました。女子は翌38年(1963)関東大学春季リーグから6人制を採用。同年のインカレは9・6同時開催とし、9、6とも日体大と武庫川女大の決勝戦となり、日体大がいずれも3−1で勝って優勝しましたが、この時の参加校は9人制26、6人制36校でした。

関東大学連盟の決断は、後に中大の昭和40年(1965)から天皇杯(全日本選手権)5連覇に象徴されるように日本男子バレーボールの推移を大学が握り、世界を席巻するまでになりました。
1972年オリンピック・ミュンヘン大会の金メダル監督、松平康隆氏は「学連は、紛れもなく日本男子バレーボールの銀メダル(1968年メキシコ五輪)、金メダル(1972年ミュンヘン五輪)の一翼を担ってくれた」と述懐しています。

 

昭和46年から48年の写真です。投稿してくれた桑村孝さん(S49年卒)の思い出は「練習は厳しく、毎日大変でしたが、いまにして思えば良い青春時代を過ごしました。社会に出て頑張れたのもバレーボールのお陰だと思っています。先輩後輩の関係も厳格な時代でしたが、今では年に数回飲んだり、仲良くゴルフをしたりして、昔話に花を咲かせています」

(同時代を過ごした皆様で連絡の取れない方がいらっしゃいます。
この投稿をご覧になりましたら、kuwason4903@ezweb.ne.jp是非ご連絡ください)
=平成28年9月20日投稿=

■ビーチバレーでも本学女子健闘
今やインドアバレーボールを凌ぐ人気のビーチバレー。1920年代、アメリカ西海岸でビーチレジャーとして発祥。日本でも鵠沼海岸などでは古くからレジャーとして楽しまれていたと言われています。
ここでも大学が貢献します。大学の全国大会は平成元年(1989)「ビーチバレー・ジャパン・カレッジ」と銘打って8月18日から3日間、神戸・須磨ビーチで全国9ブロックから選抜された男子30チーム(2人制)、女子16チーム(3人制)が参加して開催された。
初代チャンピオンは男子が法大の菅野・高尾ペア、女子は天理大の岡本・高奥・段野トリオ。本学女子は第1回から参加していますが、第2回大会(平成2年)で冨田・鈴木・小林トリオが3位決定戦で早大トリオに敗れて4位になったという記録が残っています。
大学選手権と名称を変えたのは第8回大会(平成8年)から。
最初の全日本的イベントは昭和62年(1987)神奈川・鵠沼海岸で開かれた「ビーチバレー・ジャパン」。この年の2月、ブラジル・イパネマで第1回世界選手権が開かれ、立川・松本ペア(ともに法大卒)が出場しました。1996年アトランタ五輪から正式種目となり、この大会で本学OGの中野照子(S63年卒)が出場、9位に入っています。

■バレーボールは日本から世界へ
◇バレーボールと日本
バレーボールはテニスからヒントを得て、レクリエーションとして1885年(明治18)、米国のウイリアム・G・モーガンによって考案されました。2チームに分かれて、ボールを打ち合い、ボールを落とした方が負けと言う簡単なルール。テニスのボレーからとってバレー・ボール(volly ball)、1952年にバレーボール(vollyboll)になったと言われています。日本に紹介されたのは1913年(大正2)YMCAの主事、F・H・ブラウンによってもたらされました。ルールは確定しておらず、日本で独自に作られ、チームの人数も16人から12人になり9人と変わって現在の9人制に近いものになったのです。9人制でも当初はサイドアウト(サーブ権がないと得点にならない)がありました。
国内最初の競技大会は大正8年(1919)、兵庫県女子中等学校バレーボール大会。大正14年(1925)には第1回全日本排球選手権が開かれ、翌年の大正15年、文部省の体操授業要目に採用されたことから普及発展しました。
昭和2年(1927)7月には大阪で大日本排球協会(日本バレーボール協会の前身)が創立されます。
国内最初の国際親善試合はと言いますと昭和4年(1929)、中国の復亘大学が来日して関東、関西などを転戦、国内大学チームで唯一対戦した神戸商大は1勝1敗1引き分け(日没のため)だったそうです。

<後記>
「青山バレー部の思い出…1」「青山バレー部の思い出…2」
野老山先輩のお宝を紐解きながら、大学バレーボールの歴史を覗いてみました。全日本大学バレーボール連盟50年史、2012年度春季関東大学バレーボールリーグ戦プログラム等を参照して奥本浩平が構成。

「生みの親、田尾先輩の秘話」(文:昭和23年専門部卒業 田尾昭次)

青山バレー部の思い出…1
※バレーボール部の創設者・田尾昭次さん(左)と海波巌さん(1991年6月5日の平成2年度総会時撮影=海波さん提供)

戦争の爪跡が各地に残る中を、私は昭和20年9月末にやっと復員できましたが、郷里の広島へ帰らず横浜に居住していた長兄の所へ行き、終戦時から考えていた就学希望を話し、了解を得たので早速復員者を編入学させる学校探しとなりました。

当時建築科のある学校は少なく、早大、日大、横浜工専と当るが、1年への編入はなく半ば諦めていた時、義姉が青山にある事を聞き、早速手続きの結果、幸運にも昭和20年10月から通学できるようになりました。

昭和21年の春、広島から上京の車内で中学の先輩に会い、食料が不充分でありながら、早大のバレーで活躍しており、各大学とも苦労は多いが部活動も始まり、近く大学リーグも復活する事等バレー界の近況と中学時代の思い出等で時を過ごし、軍隊以来忘れていたバレーボールの感触を思い出したものです。

早速青山の部活動を調べた結果、野球、テニス、水泳等の部活動は見られましたが、バレー部は無しと判り、少々消沈していました。
ところが、ある日中学部の生徒が円陣パスをしているのを見かけ、話しかけたところバレー部の練習と判り、数日後その練習に仲間入りして、久しぶりのボールの感覚を味わうことが出来ました。
しかし、中学生を相手では当然物足らず、同好のグループを集めるのは自分で動かなければと決意して早速行動に入り、先づボールが必要なため、とりあえず広島の家にあった古いボールを取り寄せました。

次にグループ作りは手近な所からと、経験の有無を問わず最も手近な、小長井君を強引に付き合わせました。彼は全然経験は無いのですが、横浜から一緒に通学するよしみで、渋々付き合ってくれたので、休み時間に階段教室の横の空地で2人パスを始めたものです。といっても小長井君は未経験のため、パスの基本を教えながらでした。

そのうち同じ建築専攻の加藤哲也君がこれに加わり、しばらくして彼と同県の舘君を加えて4人で、また時には建築グループの者を引っ張り出しては円陣を組むようになったのですが、空地は小石がゴロゴロしていて、足元も悪いのも加わり、切角円陣に加わったものの突き指する者が多く、そのためか、円陣の輪は大きくなりませんでした。

今日は誰を引っ張り出そうかと、講義の間にも、目ぼしい者を探すのに懸命でした。ようやく5〜6人の輪が出来るようになった頃、建築科以外の者や1年の者も加わり、時には10人位になる時もありましたが、人が多くなると必然的にボールの損傷も大きく、1個のボールでは直ちに破損するために修理の繰返へしで、ボールとは名ばかりで、まるでラグビーボールのように変形し、中のチューブが出る仕末で困っていたところ、小長井君が知人から進駐軍の古ボールを入手してくれたので、しばらくこれで円陣が作れるようになりました。

当時は食物が不自由でしたから、学割のきく私は度々郷里の広島へ食糧の補給に帰ったものでした。このように不自由ながらもボールは入手できましたが、コートとネットが無いので、樹木に縄を張っては4〜5人で試合形式がやっと出来るようになりました。しかし、まだバレー部としての動きは出来ませんでした。

夏休み明け頃に1年の加藤精三君達が輪に加わってきましたが、まだまだでした。その頃これはやれるぞと期待できる者が時々出て来るものの2日続かないので、せめてあの男がいれば何とかチーム作りも出来るが…、と思っていたところ、不思議にも今度は2〜3日続いて出てきたのでグループに加わるよう要請したところ、即座に了解を得ることができました。これが吉田君です。
今までの彼は或る事情で毎日出校出来なかったのですが、バレーの虫であったらしく、それ以来彼は毎日出てきたので、これでやっと部活動できると判断し、学校とバレーボール連盟に届出を行ったのが、昭和21年の9月頃であったと思います。

当時は勿論9人制ですが、9人の駒が揃う時が少なく、加えてコートも無し、只グループが出来たのみでしたが、何とか試合形式の練習をしたいために中学部に相手になってもらったのですが、安藤君(後に明大専門部で現在も私とは文通中)や海波君等のチームに負ける事が多く、常々カラカワれていたものです。

どうしても専用のコートが欲しく、テニスコートの一面の譲渡をテニス部に依頼したが受入れられないために、これも自力でやらなければということから、グランド端で野球やラグビーの支障とならない、プール入口の所を勝手にコートと定め、その廻りの雑草を抜きコートらしくした。次に建設会社からバタ角2本を貰らい、これをポールとした。ネットはテニス部の古いテニス用ネットを借用し、やっと専用の練習場を入手したのも同年の秋でした。
このようにしてやっと対外試合に出る気運に及び、秋のトーナメントに出場したものの、公式戦の経験者は吉田君と私の2人のみで、加えて駒不足のため、中学部の安藤君の応援を得ての試合は青山バレーのスタートでしたが、勿論見事な惨敗でした。
同年秋の学院祭実行委員会でやっとバレー部の存在を認めさせることができ、これによって野球、テニス、ラグビー部の予算を少しづつ減じて、体育会からネットとボールの少々の配分を初めて受けたのですが、よくも認めてくれたものと思っています。
このように発足した当時は対外試合もままならなかったのですが、昭和22年春に発足した高専リーグに参加して、やっとバレー部の動きらしくなったものです。当時は都立高校体育館等で試合がありましたが、駒不足のため相も変らず中学部の安藤君の応援を得て、時には海波君という時があったと思いましたが、リーグ戦は比較的好スタートであったと思います。
リーグの途中である部員が欠場するため、人の手配がつかず困っていた或る日の練習を手伝ってくれた男がいました。彼はテニスの合間を好意的に我々の練習を手伝ってくれたのが仲々上手で、これは良い者が居たとばかり入部を進めるが、テニスをやるといって仲々応じてくれない。それではとリーグ戦途中に欠員が生じた窮状を説明して、今度の試合を応援して欲しいと懇願し試合に出てもらいました。私としては切角の掘り出し物を逃がす手は無いので、次の試合、また次の試合へと強引に出てもらったのが福原君で、彼はこれが結局入部の原因となり、後年の青山バレー推進の原動力となりました。
当時は校門を入ったすぐ左の講堂の裏に部室がありましたが、部室の絶対数が少ないため、戦前戦中を通じて活動していた部が僅か2坪位の部室を使用していたので、仲々新興のバレー部は部室どころではない状況でした。しかし部室の欲求は部員数の不足に関係なく募るばかりでしたので、人数も道具も少ない部で同居させてくれる部を探して、同居させてもらう事を思いつき、最初テニス部に同居させてもらいましたが、もっと良い所という結果、児童研と同居したのが部室の思い出です。

 

田尾昭次さんが、昭和56年9月3日、海波巌さんに宛てた文書です。
※田尾昭次さんが、昭和56年9月3日、海波巌さんに宛てた文書です。

 

関東学院との交換試合。私と小長井君は同じ横浜から通学していたので、時々横浜の町をぶらつくことがありました。私の義姉の実家が女子系の学校(精華学園)を経営していたことと、学校が住居に近かったので時々学校へ出かけていたのですが、ある時中学のバレー部の練習を見に行った時、横浜専門からコーチを招いていると聞き、近くであるし物珍しさと暇にまかせ、当の横浜専門を小長井君に案内してもらい、コーチの出来るバレー技術を見物に行った時、横浜地区で関東学院等と定期大会を行っていることを聞き、同じ学院系という事で話しを出した結果、関東学院との定期戦となったと思います。
昭和22年夏休みに不自由を承知の上で合宿を計画したところ、全員参加ではなかったが10日間程度の合宿訓練を行いました。勿論昨今の合宿とは大変な違いがありました。
戦後の混乱期を脱出したものの、依然として衣食住の問題は深刻であったので、学生の大半は休みもなければ、食べるための資金集めにアルバイトを必要とする時ですから、合宿とはいえ金のかかる事は出来ないので、合宿の場所も部室を中心に学校で行うことしました。
しかし狭い部室では3〜4人が精一杯のため、その他は屋外か教室を利用することになりました。当時は教室に好都合の物があったのでこれを利用しました。私達建築専攻の者が設計製図の利用する製図板の大きいものです。これを利用して横になったものです。
勿論食べる物は少なく不自由で、食糧切符と交換するコッペパンやあちこちから調達したサツマイモとか僅かばかりの米等で野外で自炊しながらの難行苦行の青学バレー部第1回目の合宿でした。
秋季リーグを前にしての練習は、もっぱら実戦向きに行ったので相手にしてくれる所はどこでも良く、遠くは横浜専門、近くは正門前の路面電車の会社や渋谷の東急等の実業団チームを相手に、試合感を養う事を当面の目標として行った結果、個人技は他チームに及ばなくともチーム総合力によって接戦を切り抜ける技を全員が身につけていったので、秋季リーグは予想以上に好成績を収めることができました。
秋の各種大会にも多数出場し、実戦的な青山バレーを各所で披露したので、秋のバレーボール連盟の機関紙創刊号に青山学院バレー部の名前が記載されるなどと、やっと部活動の芽を出した次第です。
秋のバレー行事が終れば、私は来春の卒業に向って今迄さぼっていた学業に精を出した結果、やっと卒業出来る見通しもたち、また就職も内定したので、来年度の飛躍を吉田君と福原君に期待しながら、のんびりと残りの学生生活を味わっていた時に次のような一大事が発生しました。
技術面で最も優れていた吉田君が講義出席が悪く、そのため進級に若干の問題があるので、青山を中退して立教へ代わりたいと申し出たため、これは一大事と先づ本人を説得し、次に学校当局との接渉に大変苦労し、遂には名前だけで良いからといってバレー部長お願いしていた古坂先生に御援助を仰ぐと同時に、経済学部の主任教授他の関係者に懇願して、追試験等あらゆる手段を講じて戴き、ようやく進級出来る見通しを得ることが出来、やっと私も安心して卒業できましたが、あの時吉田君がもし退学していたら果して、バレーになったであろうかと今でも私は一大事として頭に残っております。
卒業後は皆さんもご存じの通り、遠方に甘んじて、バレー部のお役になることも出来ず、今日に至っておりますことをお許し下さい。その間に幸いにも福原君が庭球部へ復帰することなく、吉田君に代わり藤田君ほか皆さんの協力を得ながら多難の時代を乗り越えて今日の青山バレーに導いてくれた御苦労を深謝すると同時に、今日までの各時代に御尽力戴いた部員各位にも厚く御礼を申し上げ、青山バレーの益々の発展と関係の皆さんの御健康を祈念しなかがら、35年余の昔しの思い出を終らせて戴きます。


手紙の末尾に7名の名前が書いてありました。これは当時のポジション(陣容)だと思われます。図にしました。


前衛のセンターは田尾さん。今で言うセッターです。リードオフマンは福原さん、エースは吉田さん。
ライト側の前衛と後衛が…になっていますが、このポジションは適宜、高等部から借りてきて埋めたものと思われます。

 

第6回全日本大学選手権大会の海波巌さんの選手証(名刺大)です。左のロゴは日本バレーボール協会の、右のそれは全日本大学連盟の、各マークです。書き文字は当時マネジャーの杉浦茂さんが記入したものだそうです。通称全日本インカレは昭和23年(1948年)に第1回大会が開かれ、早稲田が関学を破って初代チャンピオンに。第6回大会は昭和28年、この年は立教が優勝しています。バレーボールは当時、大学がトップレベルで花形競技の一つでした。選手証にステータスの一端を垣間見る思いですが、現在はそのようなものはないそうです。ちなみに今年で男子が65回、昭和29年スタートの女子は59回の大会を迎えますが、本学女子は4度(35、52、53、55回)女王に輝いています。

メールで交流があってもお会いしていないOB、OGの方は沢山います。時に会うとなると、どんな人だろう、顔は、スタイルは、あれこれ想像するものです。

土砂降りの7月3日、そんなOBふたりと母校青学の校門で待ち合わせました。モントリオール在住の大島晃氏と熊谷市の吉川栄氏(いずれも昭和51年卒)です。
大島さんは高齢のお母さん(87)のことを気遣い「できるだけ顔をみせよう」と6月24日、2年ぶりの“親孝行帰国”をしました。このことは小耳にはさんでいましたので、メールを入れました。「今、川越(実家)に居ますので都合の良い日に会いませんか」の返信。話は早く、件の待ち合わせとなりました。

校門を入ってすぐ右の14号館の入り口。FC東京(V.プレミアリーグ)の愛息アンディ君(28)と一緒に待っていました。ベルギー人の母親を持つだけに風貌も体つきも外国人のバレーボーラーと細身ながら長身で浅黒く精悍な顔のお父さん、すぐわかりました。「吉川にも声を掛けています」と大島氏。もう一人初対面のOBに会えると心弾ませていると、恰幅の良い中高年、吉川氏がにこやかな顔を見せました。これに山脇OB・OG会長も加わって、午後1時過ぎ。「和泉君(現姓福本、昭和53年卒)の所で飯でも食いながら、どうですか」「いいですね」渋谷へ向かって2〜3分。中華料理の「精陽軒」で福本氏のもてなしを受けながら話は弾みました。

大島氏は中高一貫校(校名コレジュ・フランセ・デュ・ロングイユ)で体育の先生をする傍らモントリオール日本語補習校の校長も務めています。学校では監督としてバレーボール部を指導、好選手を育て好成績も収めているそうです。大島氏はiPadでコレジュの選手たちを見せながら、アルバム持参の吉川氏は懐かしいアルバムをめくりながらも行きつくところはバレーボール。ふたりの情熱にバレーボールで培った絆の強さを感じ、卒業から半世紀以上経って初めて会った後輩たちに強い仲間意識を持ちました。

ふたりは川越高校(大島)と熊谷高校(吉川)の出身。宿敵同士が青学でチームメイトになり、2010年4月には吉川氏がモントリオールを訪れるなど海を隔てていながらも旧交を温め続けているのです。
7月9日離日した大島氏がOB会へメッセージを送ってくれました。「青学男子バレーボール部の朗報を待つ身としては、後輩たちの中から本気で部の強化に、愚直なまでに時間をさける人、常にコートに立てる人が出てくるかにかかっているのかな…というのが実感ですね。指をクロスさせています」

文責・奥本浩平

モントリオール在住の大島氏、2年ぶり里帰り同期の吉川氏交えバレーボール談義

2年ぶり里帰りの大島氏を囲んで記念写真
(左から福本氏、筆者・奥本、吉川氏、大島氏、アンディ君=渋谷の精陽軒で
 
モントリオール在住の大島氏、2年ぶり里帰り同期の吉川氏交えバレーボール談義
勢ぞろい大島家
(左から妻マルティンさん、大島氏、長男ニコラ君、三男ケニー君、二男アンディ君、吉川氏=2010年11月4日、モントリオール市内レストランで)

青学卒業後、バレーボール部仲間で集まっている回数が一番多いのは私たち昭和51年卒と2年上の桑村孝さんたちではしょうか。時には女子バスケットボール部OG(桑村さんの知人)も加わって、それは賑やかです。1年下の塚本進君や2年下の和泉(現姓福本)啓一君らが顔を見せることもあります。もっとも和泉君は青学の近くで中華料理「精陽軒」を営んでいることもあって、しばしば集まりに使います。
最近は同期の大島晃君(モントリオール在住)が里帰りするのを機に、私吉川が音頭をとって同期会を開きますが、時々桑村さんたちが参加して大いに盛り上がります。今年(2015年)2月、石川(現姓川名)光俊さんの計らいで先輩の地元、館山で懇親会(前夜祭)とゴルフ大会(館山カントリークラブ)を開きました。歳はとっても、バレーボールで鍛えたパワーはさすが、我ながら「あっぱれ!」でした。
同期が集うと、なぜか学生気分に戻ります。もちろんバレーボールの話もしますが、歳と共にいつの間に誰とはなしに病気、医者、薬へ。健康は万人の願いですね。
「また会おうぜ!」いつもそう言って別れます。しばらく時が経つと、なぜかまた会いたくなります。そうして声を掛ける者がいる、それが私です。
昭和51年法学部卒・吉川栄

▽昭和51年卒
安達隆弘(武蔵野市)、大島晃(モントリオール)、小島宏光(東京・江東区)、吉川栄(熊谷市)、笠松宏(千葉市)、西沢充(山梨・東八代)
▽昭和50年卒
須田晃(横浜市)、川田仁(故人)
▽昭和49年卒
保科雅久(船橋市)、福田喜範(横浜市)、宮田博和(松戸市)、石井(現姓川名)光俊(館山市)、桑村孝(埼玉・北葛飾)

写真1
ゴルフ大会恒例、前夜の懇親会

 吉川アルバム
 

平成27年2月1日、館山の「波奈」(有楽町店の本店)で(左側から奥へ桑村孝、石井光俊、安達隆弘、福田喜範、安田勝也、保科雅久、小島宏光)

写真2
同期の“接着剤”は大島晃君かも

 吉川アルバム

平成22年7月17日、東京・渋谷の中華料理店「精陽軒」で(前列左から2年下和泉(現姓福本)啓一=精陽軒店主=、桑村孝、原恵美子、伊賀葉子、小池教文、後列左から塚本進、小島宏光、西沢充、安達隆弘、大島晃、保科雅久)

写真3
卒業後初めて2年先輩の宮田さんと

 吉川アルバム

平成22年4月10日、錦糸町・東武ホテル「レパント」で(左が宮田。後ろは建設中の東京スカイツリー)

写真4
桑村さんの音頭で女子バスケットボール部OGも加わって

 吉川アルバム

平成19年7月28日、東京・入谷の精進料理店「梵」で(前列左から伊賀葉子、バスケOG、桑村孝、原(現姓町谷)美恵子、バスケOG、後列左から西沢充、笠松宏、小島宏光、石井(現姓川名)光俊、保科雅久、福田喜範、安達隆弘、中腰は私・吉川)

写真5
先輩、後輩も加わって久しぶりの同期会

 吉川アルバム

平成13年11月10日、東京・両国のちゃんこ店「巴潟」で(左から1年上の川田仁=故人=、2年下の安田勝也君、OG伊賀(現姓成田)葉子、私・吉川栄、西沢充

写真6
大島晃君が海外へ移住して初めて帰国、久しぶりの同期会

昭和62年7月21日、新宿駅西口で(前列左から笠松宏、西沢充、吉川栄、大島晃、安達隆弘)

青山学院大学体育会バレーボール部OB・OG会緑楯会
平成26年度活動報告

<緑楯会>▽総会(H26年6月1日・校友センターA)、引き続き懇親会▽役員会6回(7月26日、11月9日、12月6日、H27年2月8日、4月5日、5月31日=持ち回り)▽年会費・寄付金の納入状況 OB490,000円(216名、年会費36名350,000円、寄付金19名140,000円。OG268,000円(176名、年会費58名171,000円、寄付金28名91,000円)。▽広報活動 PC、携帯メール、校友会HPを中心に情報を発信してきた。古い先輩数名には電話、FAXでその都度報告。Eメール、携帯メールの利用者はOB80名、OG19名、父母他11名▽チーム強化 男子=スポーツに優れた者2名。女子=特別強化枠3名、スポーツに優れた者1名、指定校推薦1名。男子ではウイング1名を2次まで行きながら落とした▽OG現役交流試合(10月26日・青学記念館)懇親会は居酒屋「天狗」▽男子部歓送迎会(H26年2月22日・ホーリー館)平澤部長、新入部員2名、父母13名、OB10名出席。これに先立ちOB現役一体の交流試合を行った▽女子部送る会(H26年3月23日・文京区しゃぶしゃぶ屋)雛田女子部会長、OG1名、OB2名が出席▽4年生部員、新入部員の父母への手紙(4年生男子1、女子2、新入部員男子2、女子5)例年通り4年生は本人へ、新入生は父母へ。
<体育会OB・OG連合会>(幹事=奥本浩平、年会費20,000円)▽総会 4月25日・校友センターA▽幹事会4回▽ゴルフコンペ(10月22日・栃木ヶ丘ゴルフ倶楽部)▽OB会長会(12月5日・校友センターA)▽第1回コーチズセッション(27年3月5日・青学会館)講師=ラグビー日本代表GM岩淵健輔氏▽顕彰(3月13日・IVYホール)33団体29名。バレーボール部からは男子・岩橋史明主将、女子・比金桃子主将。定年退官部長先生へ感謝状(準硬式野球部・芹沢斎部長、理工学部弓道部・田代朋子部長)▽各部周年行事 ラグビー部90周年(6月22日・渋谷)、ハイキング部90周年(11月8日・青学会館)、箱根駅伝初優勝祝賀会(27年3月14日・東京プリンスホテル)▽26年度スポーツ推薦合格者95名(特化枠23含む)
<校友会>(IVYグループ代表者・奥本浩平会長、同小委員会・辻裕之代表幹事、同グループ代議員・原進先輩)▽代議員総会(6月28日・青学会館)▽IVYグループ代表者会議(5月23日、11月21日・いずれも青学会館)▽大学同窓祭(9月23日・青山キャンパス)
<青山学院>▽第14代学院長に梅津順一総合文化政策学部教授(67)が就任(7月3日)▽創立140周年記念式典(11月15日・青学講堂)
<大学>▽27年4月開設の地球社会共生学部(相模原C)の学部長に平澤典男副学長(バレーボール部部長)が就任。初年度受験生3000人(定員190名)▽横浜英和女学院を係属校とする協定を締結(7月18日)本校が係属校を設けるのは初。開始は2016年4月1日、校名は青山学院横浜英和学院中学高等学校(仮称)となる。2018年4月から男女共学となるほか、2016年4月以降入学した生徒は卒業後、一定の条件を満し、進学を希望する場合、全員本学へ入学できる▽体育局(仮称)の新設 理事会の了承も得て、流れは決まっているが、体育会各部の部長先生の意見がまとまっていない。レスリング部の長谷川恒平氏(職員)がトップになるだろうが、孤立しないようOB・OG連合会がバックアップする。
<学生の成績>▽男子 春季リーグ2部6勝5敗6位。秋季リーグ2部7勝4敗5位。東北学院定期戦(6月1日・東京)3−2。東日本インカレ(6月・東京)2回戦敗退。全日本インカレ(12月・大阪)決勝T2回戦敗退。夏合宿(8月21〜26日・野沢)▽女子 春季リーグ1部5勝5敗5位。秋季リーグ1部1~4位決定リーグ進出も通算5勝5敗4位。東北学院定期戦(6月1日・仙台)3−0。東日本インカレ(6月20〜23日・東京)ベスト8。全日本インカレ(12月・東京)ベスト8。春季合宿(27年3月9日〜13日・愛知学院大学)▽2014年度体育会優秀団体・優秀選手表彰と祝賀会(3月14日・IVYホール)敢闘団体(11部)=女子バレーボール部。優秀選手(32名)=比金桃子、小島満菜美(ともに7月の東アジア地区女子選手権日本代表で優勝)▽日本代表 今村優香は2014年度全日本メンバー31名に選ばれ、モントルーバレーマスターズ2014(5月27〜6月1日、スイス・モントルー)で6位。この大会のドーピング検査で今村は陽性反応。ニキビ予防に使用していた薬に禁止薬物が含まれていた。出場停止3か月。
春季リーグ戦のベストスコアラー賞、スパイク賞も取り消された。秋季リーグ戦は第2週から出場OKとなったが、ベストコンディションではなかった。新入部員(新陣容参照)

以上

<25年度活動報告>
<緑楯会>
▽総会(H25年6月9日・校友センターA)
引き続き懇親会

▽役員会6回(7月28日、10月20日、11月22日、H26年2月2日、3月23日、5月18日)

▽年会費・寄付金の納入状況
OB471,002円(208名中年会費37名390,000円、寄付金19名181,002円。
OG390,000円(176名61名。年会費182,000円、寄付金208,000円)。

▽広報活動
PC、携帯メール、校友会HPを中心に情報を発信してきた。古い先輩数名には電話、FAXでその都度報告した。Eメール、携帯メールの利用者はOB77名、OG18名、父母他11名

▽チーム強化
男子=スポーツに優れた者4名、指定校推薦1名。一般入部者3名。女子=特別強化枠3名、スポーツに優れた者6名。男子ではセッターを採れなかったことが悔やまれる

▽OG現役交流試合(11月3日・青学記念館)
引き続きOB・OG懇親会

▽男子部歓送迎会(H26年2月8日・ホーリー館)
平澤部長、新入部員5名中4名、父母13名、OB10名出席。これに先立ちOB現役一体の交流試合を行った

▽女子部送る会(H26年3月29日・ホーリー館)
平澤部長、雛田女子部会長、OB2名が出席

▽4年生部員、新入部員の父母への手紙(4年生男女各8、新入部員男子5、女子9)
例年通り4年生へは卒業前、新入部員父母へは入学式後。

<体育会OB・OG連合会>
(幹事=奥本浩平、年会費20,000円)

▽総会
H25年3月16日・校友センターA、引き続き懇親会

▽幹事会4回

▽「先生・監督・コーチへの感謝の集い」(7月17日・IVYホール)

▽ゴルフコンペ(10月17日・太平洋クラブ御殿場西コース)
本会からOBの原進、堀美喜雄、島田英生の3氏とOGの堀田利子さんが参加、団体で2位、個人で原氏が4位

▽OB会長会(12月18日・校友センターA)

▽顕彰(3月14日・IVYホール)
36団体38名。バレーボール部からは男子・青井勇気主務?、女子・岩島みなみ主務?

▽総会(H26年4月25日・校友センターA)
引き続き懇親会。

<校友会>
(IVYグループ代表者・奥本浩平会長、同小委員会・辻裕之代表幹事、同グループ代議員・原進先輩)

▽代議員総会(6月9日・青山学院大)
相川和宏氏(1969年経済学部卒、日本機器鋼業(?代表取締役)が新会長に就任

▽120周年記念式典(11月16日・青学講堂)
小久保裕之氏(侍ジャパン監督)が記念講演、テーマ「一瞬に生きる」

▽IVYグループ代表者会議(5月24日、11月22日・校友センター)

<学生の成績>
▽男子
春季リーグ2部7勝4敗5位(セット率)、秋季リーグ2部8勝3敗4位(セット率)、東北学院定期戦(6月2日・仙台)3−2、東日本インカレ(6月・北海道)、全日本インカレ(12月3〜8日・東京)決勝T2回戦敗退

▽女子
春季リーグ1部8勝1敗で優勝、MVP・伊東千寿留主将④、ベストスコアラー、スパイク・賞今村優香②、ベストセッター賞・比金桃子③、ベストリベロ、新人賞・小島満菜美①、優勝監督賞・生瀬良造。秋季リーグ1部9勝1敗で優勝、MVP・伊東千寿留主将④、ベストスコアラー賞・今村優香②、スパイク賞・松浦圭④、ベストリベロ賞・小島満菜美①、優勝監督賞・生瀬良造。東北学院定期戦(6月2日・仙台)3−0。東日本インカレ(6月20〜23日・東京)決勝戦で東京女子体育大にストレート負けして2位、敢闘賞・スパイク賞・望月玲奈④、ブロック賞・伊東千寿留主将④、レシーブ賞・古市麻衣④。全日本インカレ(12月3~7日・大阪)決勝戦で鹿屋体育大に2−3の末敗れ準優勝、敢闘賞・伊東千寿留、ベストスコアラー賞・今村優香②。皇后杯全日本選手権大会(12月11~15日・東京)1回戦敗退

▽2013年度体育会優秀団体・優秀選手表彰と祝賀会(3月14日・IVYホール)
最優秀団体(4部)=女子バレーボール部、最優秀選手(11名)=今村優香?、小島満菜美②、優秀選手(16名)=伊東千寿留主将①、敢闘選手(41名)=松浦圭④、比金桃子③、古市麻衣④

▽日本代表
今村優香②は2013年度全日本メンバー33名に選ばれ、モントルーバレーマスターズ2013(5月28〜6月2日、スイス・モントルー)で5位。ユニバーシアード大会(7月8〜15日、ロシア・カザン)でも5位。小島満菜美①はジュニア世界選手権(6月21〜30日、チェコ・ブルノ)に出場、決勝戦で中国に敗れたが、ベストリベロ賞を獲得。ユニバーシアード大会日本代表にも選ばれた。

▽リーグ戦
2013年秋 優勝
2014年春 5位

▽東日本インカレ
2013年準優勝
2014年ベスト8

▽全日本インカレ
3013年準優勝 本学2-3鹿屋体育大

▽リーグ戦
26年春 5位

<24年度活動報告>
文責・奥本浩平

年会費納入者数、スポーツ推薦入学者について目標達成できず。選手獲得について、ここ3年の低調は奥本会長の責任として、会員から会長退任要求が出された。会長が辞意を漏らしたことから臨時役員会を開く。OB役員を中心に話し合い、続投することで落ち着く。

<緑楯会>
▽総会
平成24年6月3日・青学会館校友センターA会議室で開催。代表幹事・会計担当の古瀬順氏が病気のため退任、代わって辻裕之氏が就任
▽役員会6回
(7月8日9月1日、11月4日、H25年1月27日、3月31日、5月3日持ち回り)2月9日臨時役員会
▽年会費の納入状況
年会費納入者=50名を目標にしたがOB202名中33名275,000円。決算では繰越金が3万円未満と少なく、山脇、原両先輩からの借金計17万円は今年度も未払金で処理、両先輩にはお詫び。女子部は会員173名のうち64名から192,000円の納入。青木晋平君がビーチバレー第1回W杯日本代表の報を受け、今年2月に激励カンパを実施、16名より123,000円の寄付
▽広報活動
Eメール・携帯メール利用者86名(内女子16名)、父母11名。内エラーになる方6名。校友会HPに緑楯会HPを開設して2年
▽強化について
男子=スポーツ推薦入学者4名以上を目標としたが3名、女子=特別強化指定3名、スポーツ推薦2名が入部。新陣容参照。
▽OG対現役交流戦(10月28日・記念館)
▽納会・OB対現役交流戦
H25年2月2日・男子部納会時に記念館で行い、OB5名が参加。納会は宮益坂のカフェレストランで開催、平澤部長、OB8名らが出席
▽女子部送別会
H25年3月24日、小石川・しゃぶしゃぶ店で開き、平澤部長、OG3名ら出席
▽表彰
H25年3月16日、IVYホールで開いた体育会優秀選手表彰式祝賀会で行い、男子は冷水亮副主将、女子は北山沙季主務に体育会OB会顕彰功労賞を贈った。

<体育会OB連合会>
(幹事=奥本浩平、年会費20,000円、男子部と女子部で折半)
▽総会
3月14日、青学会館。終了後、IVYホールで懇親会開催
▽「先生・監督・コーチへの感謝の集い」
7月4日、IVYホールで開く
▽ゴルフコンペ
10月4日、武蔵丘CC。
▽OB会長会
12月12日、校友センターA会議室。

<校友会>
(IVYグループ代表者=奥本、同グループ代議員=原進先輩)
▽IVYグループ代表者会議(5月25日、11月9日・青学会館)
▽代議員総会(6月30日・青学会館)。

<学生の成績>
▽男子
2012年春季リーグ戦2部3勝6敗8位、秋季リーグ2部4勝5敗6位。東北学院定期戦(記念館)0-3。東日本インカレ2回戦1-3仙台大。全日本インカレ3回戦0-3順天堂大

▽女子
2012年度春季リーグ1部7勝2敗2位、秋季リーグ1部8勝1敗優勝。MVP、リベロ賞=中村愛理主将④、ブロック賞=伊東千寿留③、会長特別賞=近藤志歩④、優勝監督賞=生瀬良造監督。東北学院定期戦(記念館)3-0。東日本インカレ準優勝、決勝戦0-3嘉悦大。全日本インカレ3回戦1-2東女体大。全日本選手権関東ブロック予選Aで日体大に1-2で敗れ本戦出場ならず。このほか8月末、カナダのアルバータ大総勢25名が来校、交流した。体育会表彰(H25年3月15日・IVYホール)で24年度秋季リーグ優勝を評価され優秀団体に輝き、個人では優秀選手に比金桃子②、敢闘選手に中村愛理主将④が選ばれた。
以上

<23年度活動報告>
<緑楯会>
■総会(6月4日・青学会館)
■役員会6回(7月3日、8月28日、11月6日、24年1月29日、4月1日、5月26日=持ち回り)
■年会費の納入率
年会費納入者=OB204名(住所不明者45含む)のうち43名334,120円、OG166名(住所不明者15除く)のうち57名171,000円。
■広報活動
Eメール・携帯メール利用者は71名(うち女子14)。アドレスはあるがエラーになる方6名。父母8名。校友会HPに緑楯会HPを開設して約1年。
■強化について
男子は3名がスポーツ推薦受験をしたが合格者2。一般学生3を含め5名が入部した。女子は特別推薦(無条件)枠3名、いわゆるスポーツ推薦で2名が入った。新入部員は新陣容参照。OBと学生で強化について話し合う(12月4日、24年1月14日)。今後も折を見て持つ。
■OB・OG親睦会(10月30日)。
■OB対現役交流戦
男子の納会時(12月10日)に記念館で行った。OBの参加は6名と少なかったが、実施したことに意義を感じたい。
■表彰
体育会総会(12月14日)で、緑楯会として男子は冨吉駿平主将、女子は小川智子主将に体育会OB連合会顕彰功労賞を贈る。

<体育会OB連合会>
(幹事=奥本、年会費20,000円)
■会長交代
4月9日の総会で原進会長(緑楯会前会長)が退任、狩野享右副会長が(航空部OB会長、S40年卒)が新会長に就いた。「体育会学生本部を強化し一体となって運動部強化に取り組む」と抱負。
■幹事会 7回
5つの小委員会設置
・体育会学生本部支援(竹内副幹事長=剣道)
・特別強化部支援(松永副会長=ラグビー)
・スポーツ推薦入学者支援(横尾副幹事長=アイスホッケー)
・他大学体育系組織情報支援(田坂副幹事長=馬術)
・セカンダリーとの交流強化支援(岩井副会長=山岳)
■部長・監督・コーチに感謝する集い(10月12日)
■大学同窓祭(9月23日)焼き鳥店出店
■ゴルフコンペ(9月29日・横浜CC)=原進先輩出場。
■OB会長会(12月7日)

<校友会>
(代表者=奥本)
■6月25日の総会で原進会長の後任として細田治氏(67)が就任。同氏は青学高等部−慶大卒と言う経歴で体育会OB連合会などから反対の声が上がるなど物議をかもしました。

■アイビーグループ
(校友会の登録団体で61団体が所属し、緑楯会もその一つ)代表者会議2回(10月24日、24年2月7日)

<学生の戦績ほか>
東日本大震災のため、関東大学春季リーグ戦は中止、東北学院定期戦も9月に延期された。
[男子]
▽東日本インカレ(6月23日〜26日・首都圏)男子=2回戦敗退。女子=3回戦敗退。女子の横手直子コーチ(H14年卒)が結婚のため退任。6月26日慰労会お開き送る。▽秋季リーグ(2部8チーム)5勝5敗、セット率での東農大に次ぐ6位。▽第61回東北学院定期戦(9月3日・東北学院大)3-1。体育会OB連合会から東北学院大へ義捐金100万円を贈る。
▽全日本インカレ(12月5日〜11日・東京ほか)決勝T3回戦 愛知学院大に0-2で敗退。
▽納会 12月11日

[女子]
▽1部強化練習試合(5月7、8、14、15、21,22)12校参加。3位決定戦 筑波大に2-3で敗れ4位。▽東日本インカレ 3回戦敗退。横手直子コーチ(H14年卒)が結婚のため退任。6月26日、慰労会を開く。▽秋季リーグ(1部12校)7勝4敗、セット率で東女体大に次ぎ5位。近藤志歩がベストスコアラー賞、比金桃子が新人賞をそれぞれ獲得。
▽第61東北学院定期戦3-0
▽全日本インカレ 決勝T3回戦 尚絅(しょうけい)学院大に0-2で敗れる。
▽納会 24年3月15、16日(三崎口)
▽24年3月24日 卒業式

<その他>
12月15日の本学院理事会で、24年3月31日をもって退任する半田理事長の後任に安藤幸四郎氏(77)=S59年経済学部卒=が決まった。同月16日、伊藤学長の後任に本学OBの仙波憲一教授(国際政経学部長、体育会会長、バスケットボール部部長)、副学長にバレーボール部部長の平澤典男教授がそれぞれ就任した。また仙波体育会会長の後任には、24年4月1日付で本学OBの本郷茂教授(硬式野球部部長)が就いた。

以上

<22年度活動報告>
<緑楯会>
■総会(5月30日・青学会館 )
■役員会5回
(6月27日、9月11日、11月7日、23年1月30日、4月24日 )
■年会費の納入率年会費納入者
OB201名(住所不明者48含む)のうち36名320,000円、OG167名(住所不明者15除く)のうち53名159,000円。なお、春合宿援助金を振り込んでいただいた9名の方については、23年度年会費として取り扱うことにした。
■広報活動
Eメール・携帯メール利用者は前年より14名(うち女2)増えて68名
(うち女子11)。男子部員の父親6名ともメール交信している。古井彬史君の父親を
通して応援用のマフラータオル10本を購入してもらった。23年3月4日から校友会HPに「緑楯会」HPを開設した。
■強化について
男子は3名がスポーツ推薦受験をしたが合格者1。女子は特別推薦(無条件)枠で3名が入った。男子の場合、経済的な理由で断わられたり、他校との争いに負け、有力選手を逃した。新入部員は新陣容参照。予てから部員の健康管理を懸念していた小早川監督の紹介で内科医の菅澤正明医師(世田谷区中町4‐30‐1)に”専属医”を依頼、快諾を得た。納会にも出席していただき部員と顔合わせをした。東日本大震災の後など、数名が体調を崩してお世話になった。
■財政と組織強化
昨今の経済状況を反映して年会費の納郵率アップが叶わず、加えて65歳以上を一口5,000円以上としたこともあって、総額が減少した。その結果、監督・コーチヘの謝礼はなし。役員の個人負担には限界がある。
■OB・OG親睦会(10月31日)
男子が2、3部入れ替え戦に回っため中止。
■OB対現役交流戦
男子の納会時(12月11日)に記念館で行った。OBの参加は5名と少なかつたが、実施したことに意義を感じたい。
■表彰体育会総会(12月8日)
緑楯会として男子は柏尾卓主将、女子は田中希和主務に体育会OB連合会顕彰功労賞を贈る。
■物故者
土屋信次氏(S38年卒)、川田仁氏(S50年卒)

<体育会OB連合会>
(幹事=奥本、年会費20,000円 )
■会長交代
4月9日の総会で3期6年務めた原進会長(緑楯会前会長)が退任、狩野享右副会長が(航空部OB会長、S40年卒)が新会長に就いた。原氏は名誉会長としてサポートする。
■幹事会 9回
■部長・監督・コーチに感謝する集い
(7月7日21年夏の東西インカレで2年ぶり)に優勝した女子の生瀬良造監督(副会長)を特別表彰。緑楯会から7名(女子3)出席
■大学同窓祭(9月23日)焼き鳥店出店
■ゴルフコンペ(11月11日・高麗川CC)
緑楯会から2名参加
■OB会長会(12月11日)
スポーツ推薦枠の拡大を要請

<校友会>
(代表者=奥本)
■アイビーグループ
(校友会の登録団体で58団体が所属し、緑楯会もその一つ)代表者会議2回(5月13日、11月20日),「あなたと青山学院」(タブロイド16頁、オールカラー)4月より年4回発行。各校友へ郵送

<学生の戦績ほか>
関東大学リーグの改革により秋季より直轄1〜 3部(女子1、2部)が10チーム制とな
ったため春は入れ替戦なしで3部の男子は4位以内なら自動的に3部昇格。

[男子]
▽春季リーグ3部8勝2敗、セット率で亜細亜大に次いで2位。亜細亜、本学、
中央学院、東農が2部昇格。ベストセッターに飯野優貴(2年、春日部共栄高出)
が選ばれた
▽第61回東北学院定期戦(6月6日・本学記念館)3‐ 1
▽東日本インカレ(6月17‐ 20日・東京)1回戦3‐ 0北海道大、2回戦3‐ 1東農大、3回戦1‐ 3国際武道大
▽秋季リーグ2部 ?国士館?早稲田?東京学芸?中央学院?駒沢、本学は3勝6敗で亜細亜、宇都宮、東農と並びセット率で9位(10位日大)で入れ替え戦へ。 10月31日(駒大玉川キャンパス)、3部2位の産能大と対戦3‐ 0で残留を決めた。インカレ(11月29〜 12月5日。東京)予選リーグ、2‐ 0姫路独協大、決勝Tl回戦0‐ 3大体大
▽納会 12月11日

[女子]
▽春季リーグ1部5勝5敗で6位
▽東北学院定期戦3‐ 0
▽東日本インカレ 2回戦3‐0武蔵丘短大、3回戦3‐0福島大、準々決勝1‐ 3嘉悦大(東西インカレ出場逃す)
▽秋季リーグ1部①嘉悦②東海③日体④筑波⑤本学5勝4敗⑥東女体⑦国士舘⑧松陰⑧早稲田⑨宇都宮
▽インカレ 予選リーグ2‐0長野大、決勝T3‐ 2東北福祉大、2回戦3‐ 2広島大、3回戦3‐ 0愛知教育大、4回戦1‐ 3東海大
▽納会 23年3月26日

<平成23年3月11日・東日本大震災>
卒業式(3月26日)中止。男子は19〜21日の1日練習、29日からの春合宿(通い)を取りやめ、女子は東海大で11日にスタートした合同合宿を打ち切った。
以上

<21年度活動報告>
■組織強化と会費納入率のアップ
OB200人、OG172人(H21年度卒含む)。OBの住所不明者46人、年会費納入率約20パーセント弱。OGは全員掌握、年会費は20パーセント強の納入率。
■広報活動
Eメール・携帯メール(54人うち女子8)を通して試合結果、日常情報を提供。(学生のHPは、女子は順次更新されているが、男子は停止中)
■学生への援助と指導体制
昨夏、泉水智氏(東海大出)に代わって小泉伸一氏(日体大出)が就任。監督(小早川啓氏=日体大出)、コーチとも他大学OBということを踏まえ、部員の規律、日常生活の監督、OB会との連携を考え山脇昌幹事(S61年卒)をシニアマネジャーに就かせた。(いずれも6月28日、役員会で承認)
▽男子激励会 4月9日(青学会館)横断幕贈る。
■部長交代
藤川久昭部長(法学部教授)は今年度をもって退任、新部長には平澤典男経済学部教授が就任。前部長は引き続き副部長として携わる。
■強化について
男子は原総監督(校友会会長、体育会OB連合会会長)を中心に田上強化担当、奥本で選考。特に原総監督の尽力で校友会支部の協力を得て、幅広く情報を収集できた。女子は今年度から強化指定部となり2名は“無条件”で獲得した。選考は生瀬監督が行った。なお、原総監督は今年度限りで退いた。
■総会、役員会など
▽総 会 5月31日、青学会館校友会会議室
▽役員会 6月28日、8月30日、11月22日、10年1月24日、3月28日、5月23日(いずれも日曜日午後2時から、青学会館喫茶室)
■表彰
▽体育会総会の体育会OB連合会顕彰(09年12月2日・ガウチャーメモリアルホール)功労賞に男子の手嶋佑輔主将、女子の鯉淵麻理プレーイングマネジャーを推薦。
以上
◇09年のチーム戦績と活動、表彰
[男子]
春リーグ2部=10戦10敗最下位、3部1位宇都宮大との入れ替え戦0-3、1季で3部に転落。東北学院定期戦(6月7日・仙台)1-3。東日本インカレ(6月18~21日・仙台)=決勝T2回戦0-3明大。秋リーグ3部=3勝7敗4位。全日本インカレ(11月30日〜12月6日・東京)=決勝T1回戦0-3早大。
▽合宿 09年8月15日〜20日(長野・竜王)日体大
10年3月19〜22日(大阪・大商大)
▽納会 09年12月13日(青学会館)

[女子]
春リーグ1部=4勝6敗4位。東北学院定期戦=3-0。東日本インカレ=準決勝で0-3東海大、東西インカレ女子選抜(8月10、11日・青学記念館)=優勝、秋リーグ1部=2勝5敗6位。皇后杯関東予選=Cグループ準決勝1-2柏エンゼルクロス。全日本インカレ=準々決勝0-3筑波大。なお、生瀬監督と千葉智枝美副主将、OGの内田暁子さん(H20年卒)、川上佳奈さん(H19年卒)は7月1日〜12日までセルビア共和国のベオグラードで開かれたユニバーシアード大会に日本代表として出場、7位。また千葉副主将は東西対抗(12月10、11日・駒沢)の東軍代表に選ばれた。
▽合宿 10年3月8日〜13日(神奈川・東海大)
▽表彰 体育会OB連合会特別表彰(7月22日)=生瀬監督(08年度大学女子日本一)。体育会表彰(12月2日)=女子バレーボール部(優秀団体)、千葉智枝美(特別優秀選手賞)、江森圭美、浦澤奈美、中村愛理(優秀選手賞)。大学表彰(3月10日)江森圭美、千葉智枝美(優秀選手賞)、中村愛理(敢闘選手賞)
▽納会 10年3月27日(東京・溜池)

【平成21年度】
文責・奥本浩平
<20年度活動報告と反省>
男子が秋に8季ぶりの2部へ復帰し、暮れには女子が学生女王に輝く素晴らしい20年度でした。新年度に入り、いきなり男子は実力通りの結果になり、OBとして何をやればよいのか模室しているこの頃です。

さて、緑楯会(男子)は「なかなか…」「どうして?」の1年でした。学生、名簿、広報、会計などと責任者を決めましたがほとんど機能しませんでした。正直、これが緑楯会の実情だと理解していますし、OB・OG会活動は正直、個々の日常の中で何番目に位置するか、おおよそ見当が付きます。学校自体も、それを大事にしてこなかったことも事実です。ある人に、「緑楯会は5部程度ですよ。学生に2部で頑張れというのは酷ですよ」と言う意味のことをいわれました。私は決してそう思っていません。学生、特にスポーツ推薦で入学してきた者は、勉強とは別にもう一つの義務があると、常々考えています。この二つがしっかり出来て“合格”です。男子はまだまだですが、それにしても、緑楯会は5部だと思っています。

■組織強化と会費納入率のアップ
平成19年度卒までの会員数は193人。うち住所不明会員52人(5月17日現在)。年度別に12分割して各担当を決め、抜けのチェックを行いました。結果、幹事7人を含む12人中6人の協力を得て、10人は明らかになりました。これをみても、明らかなように50%の協力しかえられませんでした。諦めません。引き続き、追跡します。会費納入者36人。女子部は部員170名(不明5)で入金48人。

■広報活動
組織強化はまず、情報提供からと考えました。幸いEメール、携帯メール各アドレスを持っているメンバー多く、これを活用することにしました。山脇幹事を中心に進めることにしましたが、結局奥本がでしゃばって仕事を取ってしまいました。伝えることが2度手間になることを避けたら、結局会長直の方が手っ取り早いと言うことになったわけです。女子部を含めメル友は確実に増えました。しかし、メールを頼りにしても、手紙は不可欠です。通信経費をいかに節約するか。活動費の少ない小会としては、最大の課題です。学生の方も、女子に続いて男子もHPを開設しました。当初は女子のHPに相乗りしたらどうかという意見もありましたが、マネージャーの努力で独自にオープンしました。

■学生への援助と指導体制
日常のバックアップは、山脇幹事が精力的にコートに顔を出してくれた以外は、ゼロに等しい状況でした。監督が広島在住という特殊な環境にあっては、特にOBの役目が大きいと初めから思っていながら、できませんでした。試合の応援も含めて。一番の反省です。そんな中、病気を押して応援に駆けつけてくれた杉浦、土屋両先輩には感謝。いつもメールで激励してくれた松原先輩にもお礼。
春季リーグは2部ということもあって、簡単に勝てるとはおもっていませんでした。中身を注目していました。蓋を開けると、練習の未熟さ(時間ではなく中身)が数字に出ました。つまり負け方が悪いということです。中身のない練習を重ねていたと言うことです。勝多負けは結果、そこまでの過程(練習)でどれだけがんばったかが重要だといってきましたが、“練習は嘘をいいません”。怠けるのをチェックする役目は監督・コーチですが、外部から、しかも監督は広島からということで、これをカバーする役目のOB会(敢えて会といいます)が機能しませんでした。
弁解ではありませんが、学生に主体性が欠けているのには落胆しましたし、一番充実しているはずの4年生(平成21年)の指導力のなさにもがっかりしました。「今の学生はこんなもんだよ」件の人には、ここでも教えられました。しかしてそう簡単に片付けられてはたまりません。女子はOBで大学職員の生瀬良造氏を監督にして、チームカをつけ、同時に生瀬監督自身も、それこそ学生界では屈指の指導者になりました。学生スポーツでは理想的な指導体制といえます。後は、後継者をどうするか、賢明な監督は考えているはずです。
男子はまさに苦しみの中です。いろいろな条件があって、広島在住の小早川監督、泉水コーチ(川崎在住、NEC)を迎えました。そして昨秋、あまりにもうまく2部に返り咲きました。今また3部へ戻りました。監督、コーチも「練習いしていない」と言います。誰の責任でしょうか。それは学生自身です。そこで外部からの指導者の難しさがクローズアップされます。広島からは諭外としても、交通費に毛の生えたような指導料でお願いしなければならない現状では、むしろマイナスではないかと思うのです。かと言ってOBなら誰でも良いかといえば、そうではありません。高校時代、トップチームで鍛えられてきた学生は、そこに説得力のある存在を求めます。結論を言えばしっかりした支援ができないのなら外部指導者はやめ、OBが目を光らせる体制をつくることです。

■監督・コーチヘの指導料(男子)
一番の難題でした。昨年春、リーグ前に監督に30万円、コーチに10万円の“謝礼”を半期分前払いした形でバトンタッチしました。会費納入率の現実から、後半期分については、到底払える状況にありませんでした。やむを得ず、監督に事実を話しました。了解するもしないも、ない袖は振れません。やっと3月、学校から監督へ謝礼として部に20万円(毎年度末)支払われたのを機に、会から2万円プラスして監督へ22万円、コーチヘ8万円支払いました。合宿への交通費、リーグ戦会場までの交通費は支払っています。今春はまだです。コーチ料としは、決して大きな額ではありませんが、会の現状では無理です。この1年、また悩みます。

■強化について
原総監督(前緑楯会会長)によって多くの成果を挙げてきました。総監督にはもっと大きな仕事、青学理事、校友会会長、体育会OB連合会会長があります。もちろん、バックアップはいただきますが、男子の強化は幹事で引き受ける方向ですすめようと、今回、春高バレーから田上幹事を強化部長(仮名)にして活動をはじめました。しかし、現実は創刊等のフットワークに助けられ、強化の組織が機能していないのが実態です。
インターハイ後にはスポーツ推薦者を決めることになりますが、まだまだ総監督の力添えを必要としています。男子の今年の強化ポイントは大型セッターとウィングスパイカーです。女子は強化指定部となり、生瀬監督(緑楯会副会長)の下、着々と進んでいるものと思い、安心しております。スポーツ推薦制度の拡充へ体育会OB連合会は動き、確実に成果を挙げています。とりわけ原会長はスポーツ振興委員会を設立、法人、学校の両者に粘り強く交渉し、今年のスポーツ推薦入学予定者は昨年より12人増えて117人となりました。_ここで問題は、学校側にスポーツ推薦についての考えが体育会OB連合会の私たちとずれていることです。つまり、表現は悪いが「入れてしまえば、どうなろうと知らないよ」と言う感じです。部を除籍されても学校にとしては単位さえ取れば何の問題もないのです。当然かもしれませんが、“スポーツ詐欺”―入学したら部活そっちのけでバイトやデー卜などに没頭―、が横行しても平気なのです。じゃ、部員をコントロールできないのはOB会の責任でしょうか。当然、体育会OB連合会は指導者の問題を取り上げています。良い指導者を確保して、しかるべき待遇を保障する、ことです。それはそれとして、大学に対し、スポーツ推薦を学生選手の育成・強化と位置付け、入試要項に謳うよう要望していきます。

■女子祝勝会と男子激励会
大学日本一を祝う会を3月18日午後6時半から青学会館で大学と共催で開催しました。出席者はバレーボール関係、学校関係、交友関係合わせて約1200人。女子部の皆さんの手際の良い段取りで、会は成功裡に終わりました。男子の2部出陣激励会は4月9日夜、青学会館で開きました。OBの出席5人、学生には申し訳ない気持になりました。このせいではないでしょうが、惨敗のリーグでした。この席で応援幕「緑楯翳し 栄光掴め」(横5m、縦1m、グリーン地に白字)を緑楯会から贈りました。

■役員会
6月29日、8月31日、11月9日、2月1日、3月29日、5月17日(いずれも日曜日午後2時から、青学会館喫茶室)

■表彰への推薦
▽感謝の集い(08年7月23日・青学会館=体育会OB連合会主催)功労賞に男子の小早川監督、特別功労賞に女子の生瀬監督を推薦しました。

▽体育会表彰(09年3月11日・青学会館=大学)功労賞に男子の中澤彰久主将、女子の土田望未主将を推薦しました。

■会長特別表彰
20年度一番活躍した男女各1人を表彰。監督推薦により男子は手嶋佑輔君(3年、センター)女子は江森圭美さん(3年、レフト)に金一封を贈りました。

以上

青山学院大学体育会バレーボール部OB・OG会緑楯会
平成27年度総会議事録

▽日 時 平成27年6月21日(日)午後1時〜2時
▽場 所 青学会館校友センターA会議室
▽出席者 竹内溥(S31年卒)、原進(S35年卒)、奥本浩平(S39年卒)、古瀬順(S39年卒)、生瀬良造(S40年卒)、浅井博(S43年卒)、辻裕之(S54年卒)、田上隆(S57年卒)、山脇昌(S61年卒)、本多和彦(S63年卒)、中澤彰久(H21年卒)、正木佳(H23年卒)=以上OB会。玉井祐子(S34年卒)、雛田総子(S39年卒)、加藤真美(S57年卒)、谷紀子(S58年卒)、川上睦美(H2年卒)=以上OG会。いずれも敬称略。当日欠席4名。出欠の返事=OB27通(郵送87通)、24本(送信75)。OG61通(郵送189通)。高窪貞人先生は懇親会(午後2時15分〜3時50分)に参加。

■開会の言葉 辻裕之代表幹事
■会長あいさつ(奥本浩平会長)総会開催が大幅に遅れたことへのお詫びと今総会を持って退任することを表明、長年の協力に感謝した。
■議 事
▽議長選出 奥本浩平会長を選出
▽平成26年度活動報告=奥本会長
▽平成26年度会計報告・監査報告=辻裕之会計担当(高橋浩生監査欠席の為、監査報告文を代読)、女子部会計報告・監査報告=川上睦美会計担当、加藤真美監査
▽平成26年度活動報告・会計報告(女子部含む)承認の件=全会一致
▽平成27年度活動計画=奥本会長
▽役員改選=奥本会長から山脇昌氏に会長就任を要請。これを受けて緑楯会は山脇氏から、女子部会は谷紀子副会長から、それぞれ新体制が読み上げられ、全会一致で承認
■報告事項のポイント
男子部の新入部員が2名の留まったことへの猛省。27年度は組織強化と財政の確立は毎回の課題だが、特効薬はない。ただ、スタッフが若返ることで、その効果を期待したい。校友会HPに掲載の本会HPがNo1に輝き6月27日、校友会代議員総会で表彰。
■意 見
―収支計算書の収入に合宿援助金等収入とあるのに、支出では現役援助金として処理するのはよくない。合宿援助金の項目を入れ明確にすべきである。
ごもっともな意見。来年度以降、明確にする。26年度の合宿援助金は80,000円(監督・コーチの旅費分)。
―来年、バレーボール部創部70周年を迎えるが、周年事業については新執行部で議論してほしい。
■山脇新会長の方針
若いネルギーを生かして、部の強化、部員の就職支援、会の活性化の3本を柱に展開する。

【平成26年度】
<総会>
▽日 時 平成26年6月1日(日)午後1時〜同3時半

▽場 所 青学会館校友センターA会議室

▽出席者 竹内溥(S31年卒)、中澤和夫(S33年卒)、奥本浩平(S39年卒)、小澤誠治(S40年卒)、川田典昭(S53年卒)、辻裕之(S54年卒)、高橋浩生(S58年卒)、中川真豪(S60年卒)、本多和彦(S63年卒)=以上OB会。玉井祐子(S34年卒)、雛田総子(S39年卒)、加藤真美(S57年卒)、大庭優香(S58年卒)、谷紀子(S58年卒)、川上睦美(H2年卒)=以上OG会。いずれも敬称略。出欠の返事=OB28通(郵送100通)、20本(送信70)、OG60通(郵送180通)。高窪貞人先生は懇親会参加。

■開会の言葉 川田典昭副会長

■会長あいさつ(奥本浩平会長)

■議 事
▽議長選出 川田典昭副会長を選出

▽平成25年度活動報告=奥本会長

▽平成25年度会計報告・監査報告=高橋浩生監査、女子部会計報告・監査報告=川上睦美会計担当、加藤真美監査

▽平成25年度活動報告・会計報告(女子部含む)承認の件=全会一致

▽平成26年度活動計画=奥本会長

▽その他 原進氏からの借入金70,000円の処理について意見を求めた結果、全会一致で速やかに支払うことにした。山脇昌氏への未払金100,000円に関しては、平成25年度の収支において、本人からの申し出により、これまでの未納年会費に充当した。また、山脇氏への未払金は相殺にて完済した旨を高橋監査が説明した。

■報告事項のポイント
組織強化と財政確立は表裏一体だが、費用対効果を考慮しながら年会費納入者数を増やす旨で意思を統一した。中でも卒業年度の若いOB・OGへの対応を強化する。FaceBook等の活用も今後検討していく。会計については昨年度総会の意見に基づき、高橋監査と相談して収支計算書のフォームを変え、寄付金の扱いは使途を考慮して援助金等という幅を持たせた項目にした。年会費・援助金等の納入者は公表した。会員名簿も整理したが、公表には個人情報保護の観点から異論もある。

■意 見
―組織強化と若いOB・OGへの対策について。
女子部としては男子部の様にメールをもっと活用したいと考える。
接点のある若いOBには直接、結集を働きかけていく。
―リーグ戦の結果について。
男子は1、2年生主体で頑張ったといえる。女子はレフトの山川、1年生のセンターがともに怪我で長期離脱し、チームづくりに苦慮した結果が予想外の展開を招いた。

以上

【平成25年度】
<総会>
文責・中川真豪幹事

■日 時 平成25年6月9日 13:00〜14:30
■場 所 青学会館交友センターA
■出席者
【男子部】竹内溥、中澤和夫、原進、川田典昭、辻裕之、田上隆、高橋浩生、中川眞豪、山脇昌、本多和彦、青木晋平、中澤彰久、生瀬良造(選手紹介のみ出席)
【女子部】玉井祐子、雛田総子、八尾和子、加藤真美、大庭優香、川上睦美
高窪貞人先生は懇親会に出席。

■議 事
<議長:川田副会長(奥本会長は家庭の事情で急きょ欠席)、進行:辻代表幹事>
開会の言葉
辻代表幹事

会長挨拶
川田副会長代行

新入部員紹介
男子部3名(宮村主将、青井主務の挨拶)
女子部4名(生瀬監督の挨拶・近況報告)

議題
▽H24年度活動報告(会長作成資料)
▽H24年度会計報告 男子:高橋監査役、女子:川上会計
▽H24年度活動報告、会計報告の承認⇒出席者多数の拍手にて承認
▽H25年度活動計画(会長作成資料)

質問・意見
▽会計報告
(男子部)会計報告の収入の欄の事業会費と計上されているが
単に総会懇親会費とすれば、会計報告内訳は不要となる。年会費も当然のことで事業費として支出しているので、敢えて事業会費の計上は複雑に思うが如何ですか?(質問者:原先輩)
納会時の負担金はどう考えますか? 納会の主旨、緑楯会のかかわりを考慮の上、計上するか否かを決めてください(質問者:原先輩)
収入欄に寄付とだけ記入されているが、どのような目的の寄付か明記すべきでは? 寄付金募集時には合宿援助、激励カンパの為と謳っているのだから、またその趣旨に賛同しての寄付故その目的の為に使用しなければ寄付者に対して不信行為になりかねないが如何ですか?(合宿援助寄付は172,000円集まったが10万円しか支援していない)(質問者:原先輩)

▽年会費徴収増の対策について⇒女子とおなじように年会費納入者の名前を公表したら如何?また会員名簿も公表してくれれば一緒に部活をした仲間同士での入金促進に繋げる事も可能になるのでお願いしたい(質問者:原先輩)
※会計報告については次回より訂正するものはする(回答者:高橋監査役)
※男子部の名簿については費用問題、個人情報管理面から検討する(回答者:川田副会長)

▽スカウト関係⇒過去3年間で推薦入学者(現3年生1、2年生2、1年生3)計6名と余りにも低調ゆえ。工夫と努力が不足している(質問者:原先輩)
※活動状況を説明、現在5名は確保(回答者:田上幹事、山脇幹事)

▽総会の参集方法について⇒出席者を増やす為、一定(年代10年単位)のグループを設定し、そのグループはその年度の総会に必ず出席するような呼びかけや工夫をする(質問者:中澤先輩)

▽就職アドバイスについて⇒校友会IVYグループにはいろいろな職種の就職あっせんがあるので、会長が積極的に学生への紹介が必要だ(質問者:原先輩)

原先輩から6月17日付メールで「議事録をいただいたが、私の質問の主旨が正しく表現されておりませんので改めてお伝え致しますので、よろしくお取り計らいの程をお願いします」のご意見をいただきましたので、文責者の中川幹事と話し合い、メールの原文に忠実に訂正いたしました。総会当日、私、会長の奥本が欠席し、ご迷惑をお掛けしましたことを改めて陳謝いたします。頂戴したご意見は役員会の中で議論して、OB会前進のためのお役に立てたいと考えております。

奥本浩平

【平成24年度】
文責・奥本浩平
<総会>
■日 時 平成24年6月3日(日)午後1時〜4時
■場 所 渋谷・青学会館校友センターA
■出席者
OB=海波巌(S29年卒)野老山幹雄(S30年卒)中澤和夫(S33年卒)奥本浩平(S39年卒)古瀬順(S39年卒)、小沢誠治(S40年卒)川田典昭(S53年卒)辻裕之(S54年卒)田上隆(S57年卒)中川真豪(S60年卒)本多和彦(S63年卒
OG=雛田総子(S39年卒)八尾和子(S40年卒)加藤真美(S57年卒)谷紀子(S58年卒)大庭優香(S58年卒)川上睦美(H2年卒)以上卒業年度順、敬称略。
▽出欠の返事 OB=27通(郵送102通)、メール20(送信57)、OG=60通(郵送165通)、メール6(送信6)

■会長あいさつ
「OB、OG合わせて400名近くいるのに、出席が17名と言うのは寂しいです。しかし、海波、野老山、中澤の大先輩3名の出席は何よりもうれしく、感謝します」「昨年の3・11大震災で被災された平忠司先輩は今、石巻の仮設住宅暮らしですが、自営の会社を閉鎖するために多忙とのことです。総会には出席できませんが、皆様によろしくとのことでした」

■議長
奥本会長を選出。

■議事
平成22年度活動報告=奥本会長、同会計報告=奥本会長(古瀬代表幹事・会計が病気療養のため9月以降実務を代行)、女子部会・川上会計。役員改選では病気療養のため古瀬順代表幹事が退任し、代わって辻裕之幹事が就任した。
平成23年度活動報告、同会計報告、平成24年度活動計画、役員改選とも満場一致で承認。古瀬さんは「ご迷惑を掛けましたが、これからも緑楯会、青学バレーボール部を応援します」と退任あいさつ、辻新代表幹事は「わからないこともたくさんありますが、緑楯会にために頑張りますのでよろしくお願いします」と決意を述べた。

▽報告事項のポイント
・校友会HP内の緑楯会HP(IVYグループの体育系)を見てほしい
・男子は部存続を意識してスカウト活動に力点を置く
・役員に平成年度卒OBを加えることで若いOBの結集につなげる等。
・このほか大学にスポーツ局(仮名)新設の動きがあることも報告された。

▽お宝拝見
海波先輩からバレーボール部の創設者・田尾昭次さん(故人)とのツーショット写真、野老山先輩からは部報創刊号(S26年9月発行)、S30年のOB・OG、男女現役の名簿など貴重は資料を提供していただきました。緑楯会HPに反映させるべく準備しています。皆様からの“お宝”お待ちしています。

なお、引き続き開催された懇親会では、82歳の誕生日を迎えられた高窪貞人名誉会員(先々代部長先生)のあいさつ、海波先輩の乾杯の音頭で和やかな約2時間となった。折しもこの日、東北学院定期戦が記念館で開かれた関係で、平澤典男部長(副学長)はベンチ入りのため不参加。現役男子の主将、主務、新入部員5名、同女子の新入部員3名(5名中2名は体調不良で欠席)の自己紹介も別々に行った。

以上

【平成23年度】
文責・奥本浩平
<総会>
■日 時 平成23年6月4日(土)午後2時〜3時
■場 所 渋谷・青学会館校友センターA
■出席者
OB=野老山幹雄(S30年卒)中澤和夫(S33年卒)奥本浩平(S39卒)古瀬順(S39年卒)川田昭典(S53年卒)辻裕之(S54年卒)田上隆(S57年卒)高橋浩生(S58年卒)本多和彦(S63年卒)深澤俊平(H22年卒)
OG=玉井祐子(S34年卒)堀田利子(S37年卒)雛田総子(S39年卒)谷紀子(S58年卒)大庭優香(S58年卒)富岡由紀子(H2年卒)川上睦美(H2年卒)天野里美(H20年卒)浦澤奈美(H21年卒)伊藤彩香(H21年卒)
以上卒業年度順、敬称略。
▽出欠の返事 OB=26通(郵送107通)、メール20(送信57)、OG=69通(郵送
157通、他にメール返信1)、メール5(送信5)

■会長あいさつ
東日本大震災で被災した石巻在住の平忠司氏(S38年卒)から「援助金ありがとうございました。3女宅で避難生活を送っていますが、被災後2週間で仮事務所を立ち上げ復興へ邁進しています。来年の総会には必ず顔を見せます」の伝言などを報告した。

■議長
奥本会長を選出

■議事
平成22年度活動報告=奥本会長、同会計報告=古瀬代表幹事。会計、女子部会・川上会計。

■質疑
「年会費の口座引き落としを止めた理由は?」(野老山)
「手数料が高く、本会の規模では割損になるためです。そのため納入者が極端に減ったということはありません。人数的には変わりませんが、65歳以上を5,000円としたことで総額が減ったことは確かです」(古瀬)
(OGの年会費納入状況が年々上向いていることについて、納入者にお礼のはがきを出すなど細かい心使いが報告され、OBも納入率アップヘ向け工夫することにしました。) 平成22年度活動報告、同会計報告、平成23年度活動計画とも満場一致で承認。

■その他
平氏への激励募金について報告。「1法人、17個人から264,000円が集まり、213,000円を4月28日送金。残金51,000円は急ぎ送ります」(古瀬)なお、総会終了後、現役男女の主将、新入部員(男子1女子3)の紹介、その後、会場の装いを替え、平澤典男部長(経済学部教授)を交えて約1時間半、懇親会を行いました。

以上

【平成22年度】
文責・奥本浩平
<総会>
■日 時 平成22年5月30日(日)午後2時〜3時半
■場 所 青学会館校友センターA会議室
■出席者
中沢和夫(S33年卒)、島田英生(S37年卒)、平忠司(S38年卒)、古瀬順、奥本浩平(以上S39年卒)、生瀬良造(S40年卒)、辻裕之(S54年卒)、田上隆(S57年卒)、中川真豪(S60年卒)、本多和彦(S63年卒)=以上男子
玉井祐子(S34年卒)、雛田聡子(S39年卒)、加藤真美(S57年卒)、谷紀子、大庭優香(以上S58年卒)、川上睦美(H2年卒)、三好翠(H19年卒)、江森圭美、伊藤彩香(以上H21年卒)=以上女子
オブザーバー=高窪貞人名誉部長、平澤典男部長
(注)カッコ内S=昭和、H=平成、洋数字は卒業年度。

■議 題
平成21年度活動報告(奥本)=別紙参照=
平成21年度会計報告(古瀬=男子、川上=女子)=別紙参照=
男子役員改選(奥本)=別紙参照=
会則第五章会計第20条に付いて「70歳以上とあるが定年年齢を勘案して65歳としてはどうか」との提案。昨21年度総会で高齢者の実情を考え70歳以上としたが、その年齢をさらに引き下げるというもの。「会費は卒業後10年未満及び65歳以上は1口5,000円以上、その他の会員は10,000円以上とする」としたい。

■議 決
活動報告、会計報告、役員改選、会則の一部変更についてそれぞれ承認。

■発 言
▽春合宿で山脇シニアマネジャー(SM)の旅費を負担したことは会則第5条3項に反し、寄付者への背信行為ではないか。▼「この項は『現役バレーボール部の活動に必要と思われる経済的援助』とある。部活動に必要と言う点から役員会は、この項に何ら抵触しないと判断、寄付者に対しても同じ観点から背信していないと考える。ちなみに監督は山脇SMの参加を要望、夏合宿は自費参加している。もっとも縛りをきつくするのであれば、文言を変える必要があるが」

▽春合宿の会計報告でボール代として2万円を寄付とあるが、(学生への)活動援助金は何にどのくらい使い、どのくらい赤字なのか。▼「報告書の書き方にも問題はあるが、春合宿援助としてOB2人から部の口座に計2万円が振り込まれた。22年度春リーグから試合球が従来とは全く異なるボールに変更されたが、10個しか購入していなかった。練習で慣れるためにもあと10個は必要と考え、ボールメーカーを通して格安で購入させた。その際、『寄付金を使ってよいか』と言われ、OKを出した。OBから頂いた援助金22万5000円は12万2000円を学生支援に使い、残りはコーチの交通費、立替分の補填など通常の活動に使った。活動援助金は学校からの課外活動支援金のことかと思われるが、その使い方の中身は掴んでいない。山脇SMの当然の役割として21年度分からチェックする」

▽2011年度スポーツ推薦受験者への対応について(男子では)田上君以外は選手訪問させていないが。▼「誤解があるようだ。強化担当の田上幹事が中心だが、県外のOB、山脇SM、監督、コーチにもお願いしているし、原先輩にも多忙な中で尽力いただいている。奥本自身も(原さんに比べれば)全く不十分だろうが動いている」

<奥本を含め役員のほとんどが知らなかった話(原前会長の指摘)>
09年度女子部には活動支援金932,00円、男子部559,000円(体育会への支援金は四千三百万円) 男子部は49部中(男女別の部も含め)少ない方から5番目、一人の山岳部、五人のスキー部、十人のハイキング部より少ない。原因はリーグの3、4部で弱かったからだが、他の理由は、体育館での喫煙、着替え、頭髪の染め、そして何より大きいのは体育会対象の試験を唯一ボイコットした部であること、要するに体育会への協力ゼロより悪く、足を引っ張る存在として委員会から最低の評価。この挽回は強くなること、社会と学内ルールを守ること、主務がサボらず体育会学生本部の会議に出席し(出席率も勘案、女子部はきちんと出席)男子バレー部の現状を報告し理解を得る努力が必要、そうすれば弱いボクシング部12人で855,000円を上回ることも可能だと思う。SMを必要とするならこの様なマネージメント支援をすべきだが、執行部はいかがお考えか。(この項メール 原文のまま)▼「役員会はこのことを踏まえ、事実を確認して、SMを軸にしかるべく対応を考える」

<生瀬副会長の補足説明>
課外活動支援金と言うは、大学から支給される課外活動料援助金のことで、大学が学費の一部として全学生から徴収している。徴収された全額を体育連合会、文化連合会に前年度実績などを考慮して両連合会へ配分額の提示がされる。これを受けて、体育会関係は体育会本部が主催する体育会行事への参加状況、学内外でルールを厳守しているかどうか,活動実績、部員数などを考慮して、各部への配分額原案を提示し体育会幹部会議(主務会議)に諮り、配分額を決定する。当初、バレーボール部は男女一緒に配分を受けていたが、実績がかけ離れてきたため、別々になったようだ。男子はこれまで喫煙のほか体育会が主催する各種行事への参加が不十分で、復活するには相当厳しいものがある。なお、7年ほど前から体育実技が必須から選択科目になったことで、体育実技として使用していた用具などの共用は出来なくなり、バレーボール部でいえば、部で使用するポールやネットなどは自前で購入することになり、部の財政は決して楽ではない状況となっている。(この項要旨)

▽奥本会長は合宿、納会など学生への支援を多くしている。
本来学生より支援すべきは指導者であり、学生が多く入学しても指導者不足なら何の意味もない。通常会費に加え合宿支援金で70万円近くあるはずで、50万円を指導者の礼金、別途20万円が指導者謝礼として(大学後援会費の中から)支給されるので計70万円位を二人の指導者に支払うべきだ。学生は集められるが、指導者は失うと探すのが大変、特に日体大出身者は貴重です。日体大出身の高校の監督の多さと情報網の凄さ、金には代えられません。▼「現に21年度下期は財政事情から監督へは(大学後援会費からの)20万円、コーチへは交通費だけで頭を下げるしかなかった。この現実からもご指摘は真摯に受け止めなければならない。良かれと思ってやってきたことだが、結果としてOBの皆さんから頂いた浄財を有効に使っていなかった。この反省の上に立ち、会財政の支出には優先順位を付けて対応する。学生には、部会計などマネージメントについてもこれまで以上に指導し、自立を促していく」=以上は出席の島田英生先輩に原前会長がメールで託した

※質問内容▽と奥本の回答▼。要約したところもあり、総会では時間の関係で公表されなかった部分もあって、回答も議事録作成段階で追加して判りやすくした。

▽部員の教育は大事だ。社会に出ても恥ずかしくない教育をしてほしい。ルールを守らせることは特に大事だ。
▽多くがOB会に背を向けている。各年代でコミュニケーションを取り合って、集まりに出るようにしてもらいたい。

▽男子は固定的なメンバーで(役員)構成していたからこうなる(若返りが出来ない)と思っていた。女子は幹事の年代を下げて若返らせてきた。男子もそうしたらどうか。▼「男子もいつまでも高齢の先輩に頼っていてはいけないと思って若返りをはかるよう努めているし、そうしたい」
▽(年会費の納入率がよくないということだが)新入会者には会費を3年間前払いしてもらってはどうか。▼「納入率の向上へ向け、会員への情報提供を積極的に行う」

なお、総会に先立ち、男女新入部員(別紙)の自己紹介を行った。

◇懇親会
総会終了後、高窪名誉部長の乾杯の音頭で始まり、あいさつに立った平澤部長の「青学に来て30年、定年までの残り8年はバレーボール部のためにがんばる」の言葉に会場は大きな拍手。松原茂年先輩からお祝い「男子2部昇格、総会おめでとう」として贈っていただいた銘酒「久保田」を飲みながら大いに盛り上がりました。
以上

◇部長  平澤 典男(地球共生学部学部長)

[男子]
◇スタッフ
▽監督  小早川 啓(JFE商事株式会社)
▽コーチ  小泉 伸一(JFE環境株式会社)
▽シニアマネジャー  山脇 昌(S61年卒)
▽トレーナー  嶋 龍之(新宿腱引き整体院)
▽主将  小泉 翔太(経済④)
▽主務・会計  三枝 琢也(総合文化④)
▽マネジャー  山城 空見(文学②)

◇選  手
小泉 翔太(経済④)ミドル、184cm、323cm、東京・東洋高=ス
牧瀬 淳平(経営④)セッター、177cm、305cm、神奈川・弥栄高=ス
小泉 海人(文学④)ウイング、180cm、315cm、東京・青山学院高等部
寺石 日向(経営④)ウイング、183cm、315cm、東京・青山学院高等部
辰  恭輔(文学③)ウイング、186cm、325cm、宮城・都城工業高=ス
佐藤 孝彰(経済③)ウイング、186cm、323cm、愛知・星城高=ス
宮下 和大(経営③)リベロ、165cm、295cm、東京・東亜学園高=ス
高岡 秀二(経営②)ウイング、183cm、320cm、大阪・大塚高=ス
金澤 正治(経済②)リベロ、177cm、320cm、大阪・大塚高=ス
佐藤吉之佑(経済②)ミドル、186cm、325cm、愛知・星城高=ス
松島 竣大(経営②)ミドル、182cm、333cm、鹿児島・鹿児島商業高=ス
木下 雄貴(法学②)ミドル、182cm、328cm、大阪・清風高=指
佐藤敦舎人(社会情報②)レシーバー、173cm、305cm、東京・生田高
塙  晃一(理工②)レシーバー、178cm、310cm、東京・日野台高
田島 光也(経済①)セッター、177cm、320cm、東京・駿台高=ス
萱野 功佑(経済①)ミドル、183cm、325cm、愛知・星城高=ス

(注)洋数字は背番号。カッコ内は学部、学年。ポジション、身長、最高到達点、出身校。ス=スポーツに優れた者推薦、指=指定校推薦。

[女子]
◇スタッフ
▽監督  生瀬 良造(S40年卒)
▽コーチ  中野 照子(S63年卒)
▽トレーナー  伊藤 拓郎(クジラ接骨院)
横山 沙織(クジラ接骨院)
▽主将  今村 優香(文・比較芸術④)
▽副主将  財前 実可子(総合文化政策④)
須田 佳奈美 (法学④)
▽主務・会計  田中 美帆(国際政治経済④)

◇選  手
今村 優香(文・比較芸術④)ウイング、175cm、295cm、東京・駿台学園高=特
財前 実可子(総合文化政策④)ミドル、178cm、285cm、長崎・九州文化学園高=特
須田 佳奈美(法学④)ウイング、167cm、283cm、東京・文京女子大高=特
田中 美帆(国際政治経済④)ミドル、165cm、260cm、埼玉・細田学園高=ス
泉 彩子(法学③)ウイング、169cm、284cm、千葉・柏井高=特
若松 佳奈美(総合文化政策③)リベロ、167cm、274cm、神奈川・大和南高=ス
小島 満菜美(文・比較芸術③)リベロ、159cm、254cm、千葉・市立船橋高=特
吉岡 可奈(文・比較芸術②)ミドル、178cm、290cm、東京・下北沢成徳高=特
土屋 恵子(総合文化政策③)ミドル、173cm、286cm、東京・下北沢成徳高=特
雨谷 果林(法学②)ミドル、174cm、293cm、茨城、土浦日大高=特
奥山 奈映(総合文化政策②)ミドル、175cm、288cm、三重、津商業高=特
比金 みなみ(文・史学科②)セッター、168cm、287cm、大分・東九州龍谷高=ス
兼若 真由(経済②)ウイング、170cm、280cm、千葉・柏井高=ス
坪川 夏音(法学②)ウイング、166cm、290cm、東京・東京立正高=ス
高木 晴香(国際政治経済②)ウイング、165cm、275cm、千葉・柏井高=ス
山野辺 輝(経営②)セッター、160cm、275cm、東京・下北沢成徳高=ス
宇治川 景(総合文化政策①)ウイング、168cm、288cm、東京・都立駒場高=特
及川 真夢(国際政治経済①)ミドル、175cm、298cm、大分・東九州龍谷高=ス
古谷 瞳子(法学①)ミドル、176cm、289cm、茨城・日大土浦高=特
根岸 真昼(文・比較芸術①)リベロ、160cm、268cm、東京・東京立正高=特
角崎 良蘭(経・現代経済①)ウイング、164cm、278cm、富山・富山第一高=指

(注)洋数字は登録背番号。カッコ内は学部・学年。ポジション、身長、最高到達点、出身校。特=特別強化指定枠、ス=スポーツに優れた者推薦、指=指定校推薦。