男子部に“専属トレーナー”

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男子部に“専属トレーナー”

2023.05.21 更新

                                               2023年度春季リーグ戦限定ですが男子部に

                                      専属アスレティック・トレーナー

                                藤井健斗さん 夢いっぱいの20歳

 男子バレーボール部に“専属アスレティックトレーナー”が。今2023年度春季リーグ戦ベンチに本学のトレーニングウエアを着た男性、藤井健斗(ふじい・けんと)さん=写真雄姿があり、23年度春季プログラムに名前がプリントさえれています。アスレティック・トレーナーになるために東京医療専門学校3年制)で勉強中の藤井さん。中学からバレーボールをはじめ千葉・学館船橋高ではOHとして活躍し、将来の夢を「スポーツの世界で役に立つ仕事」と考え、この道を選択して、今はその実習の最中ですが、本学OBの渡辺周馬さん(2018年卒、東京ベルディ所属)との縁あって、男子部の“専属”で勉強を兼ねて、リーグ戦を通してアドバイスを送ってくれました。まだ20歳。一つ年下の渡邊しほマネージャーが男子チームの印象などを聞きました。

 ちなみに、女子部は10年以上前からアスレティック・トレーナーを有料で雇っていますが、男子部は小早川啓氏(日体大OB)が監督時、知り合いの整体師をトレーナー(無料)として登録した経緯がありますが、ほぼ名前だけ1季リーグ戦とは言え全試合、参戦したのは初めてです。

青学チームの第一印象は。

学生主体なので、チーム内での信頼性が高いように感じる。他の学校と違い、日常は監督がいないため、選手たちで練習内容を決めているので、お互いに意見を出し合ってチーム力を高め合っている。人数が少ないので、全員がいろいろのポジションをこなしているから、人数が多いチームではできないようなチャンスと学びがあり、経験を積むことができる

―男子部トレーナーの勉強をすることになった経緯は。

「学校の授業とは別にトレーナーの授業があり、その講師の先生が青学OBの渡辺周馬さんと関係があって、トレーナーを探していると聞き、参加することとなった。バレーボールの経験があるので、バレーボールのトレーナーができるところを探していた」

2部ですが関東大学リーグ戦については?

「率直に感じたことは、高校とは違い大学はとても迫力があると思った」

長い春季リーグ戦を通して青学チームの良いとこころと悪いところは。

良いところは、皆仲が良いし、雰囲気もいい。悪いところは少ないが、試合中、劣勢になると静かになってくる。それぞれの影響力が良くも悪くも大きいから、練習や試合中に1人が崩れてしまうとそれが広がる

―ここでの経験をどう活かすか。

「卒業後のことはまだ決まっていないが、スポーツ関係へ就職をしたいと考えており、バレーボールを中心で進めて行こうと考えている。青学でのトレーナーを通して得た経験を実践で使えるようにさらに経験を積みたい」

秋季リーグでも本学のベンチ

(専門学校で)勉強の方もあるので、春季の様に専属は無理。日程が合えば顔を出そうと思う」

                                                       以上

アスレティックトレーナーの役割

 ①スポー外傷・障害の予防

 ②スポーツ現場での救急処置

 ③アスレティック・リハビリテーション

④コンディショニング

測定と評価

⑥健康管理と組織運営

⑦教育的指導

以上

日本にアスレティック・トレーナーが誕生するまで

 わが国のスポーツにかかわる活動は1964年の東京五輪後。まずスポーツ指導者の養成事業が65年にスタートし、競技者の育成と強化を図りました。当時はスポーツトレーナーと言う名称で、もっぱら競技力向上のための指導者・コーチでした。スポーツ競技者のケアについて、スポーツドクターの要請がスタートしたのは1982年アスレティック・トレーナーの養成が始まったのは1994年日本体育協会が新たなトレーナー「公認アスレティック・トレーナーの認定を開始しました

 アメリカでは1950年に全米アスレティックトレーナーズ協会が設立され、1970年から公認資格制度導入されたことで、スポーツ界において有資格者としてのアスレティック・トレーナーが広く認められるようになりました。

 日本では戦後のプロ野球でマッサージ師などがトレーナとして組織的に活動を始めて言われていますが、社会的な契機となったのは1964年東京オリンピック。日本はトレーナーがない国のため、東京都が医療資格を有する者を集めて講習会を開催して大会に備えたという記録があります。と言ってもトレーナーと言う名称があったわけではなく、マッサージ師、鍼灸師、理学療法士などが専門性によりスポーツ現場において役割分担したというよりも、各チームや団体・派遣母体などから総称としてトレーナーと呼ばれて活動していたようです。

 

 アスレティックトレーナー活動の分類◇

 ▽アスレティック・トレーナー公認資格を持ち、スポーツ関係企業に所属しつつ、競技者のコンディショニングなどに協力している。

 ▽理学療法士の資格を持ち、病院に所属し、競技者のリハビリテーションに協力している人。

 ▽はり師、きゅう師、あん摩、マッサージ師、指圧師または柔道整復師の資格を持ち、開業または企業に所属しながら競技者のコンディショニングなどに協力

  している人。あるいはプロスポーツ、企業スポーツなどに専従として所属している人。

 ▽体育系大学の学生で、運動部の競技者たちを対象にテーピングやストレッチングなどを行って、コンディショニングなどを担当し、将来、トレーナーとして

  の就職を考えている人および大学を卒業してトレーナーとして活動している人。

                                          以上

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